米投資会社ブラックストーンの年次投資家総会で、ジョン・グレイ社長は話題を過去へと遡らせることで、AIに関する議論を切り出した。彼は参加者に対し、1870年9月を想像するよう求めた。当時の米国人の大半はまだ農村部で暮らしていた。建物は主に木造で、交通手段は馬であり、ろうそくの灯りは夜をわずかに照らすに過ぎなかった。グレイは、農夫に扮して干し草用のフォークを手にした自らのAI生成画像を提示し、何世代も前の人々にとっても馴染み深かったであろう当時の世界を鮮明に描き出した。
そして彼は時計の針を、30年だけ進めた。
1900年までに、都市は拡大し、鉄鋼が建築環境を変え、鉄道が人と市場を結び、自動車が姿を現し始め、電灯が人々の暮らしと働き方を変えていた。グレイが伝えたかったのは、私たちは再び技術的転換の初期に立っているのかもしれないということだ。その最終的な変化、すなわち恩恵と結果を含む全体像は、現在の地点からは見通しにくい。
希少性を前提に作られた企業は自己再定義を迫られる
組織デザインと労働の全体像は、「希少性」という基礎の上に築かれてきた。しかし、今日のAIに関する議論の多くは、依然として目の前にある技術、モデルの性能、普及曲線、設備投資、企業評価額、そして現在の投資サイクルがバブルを形成しているか否かに終始している。同時に、AIが10年以内に人類を滅ぼしかねないとまで主張する終末論者がいる一方で、キャリアの階段の最初の一歩を踏み出そうとしている新卒者を含め、AIに仕事を奪われることを懸念する世代の学生や労働者も存在する。
私の頭に最初に浮かぶ疑問は、知能(インテリジェンス)が急速に潤沢かつ安価な事業リソースとなったときに起こる事態に対し、組織が準備を進めているかということだ。



