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SERG60 / Shutterstock

数あるシベリアのミイラの中でも、美しいタトゥーが全身に刻まれた女性はとりわけ有名だ。
その人物が男性だったことが最新のDNA鑑定によって判明したという、12月1日のシベリアン・タイムズに掲載されたニュースは、オンラインメディアを中心に瞬く間に広がった。

その性別については遥か昔に議論されているはずであり、どこか腑に落ちなかった筆者が独自にリサーチを行ったところ、未だ謎に包まれている彼らの埋葬文化、そしてウコクの王女のタトゥーを再現した顔面複製技術について、いくつか興味深い事実が浮かび上がった。研究者や学生たちを敵に回すかもしれない筆者の持論はこうだ。ウコクの王女は男性ではない。

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エルミタージュ美術館に展示されている、パジリク5号墳出土の壁面覆いに見られる「乗馬する男」(photo by Wikimedia commons)

この記事が混乱を招いている要因は2つある。まず第一に、シベリアン・タイムズに掲載された記事(過去にも同一の人物に関する記事が掲載されている)には「number 1 Ak-Alakha burial」という記載があるが、人々を埋葬した塚には「 Ak-Alakha-1 Mound 1, Burials 1 and 2」と「 Ak-Alakha-3 Mound 1, Burials 1 and 2」の2つが存在するというのが、考古学者たちの間では定説となっている。また、「Ak-Alakha-1, Mound 1, Burial 2」に眠る人物の再現画像に、「Ak-Alakha-3, Mound 1, Burial 2」に登場する考古学者たちの憧れの人物、つまりウコクの王女と同じタトゥーが見受けられる点も、混乱を招く要因となっている。

Ak-Alakha-1に関する記載を含む英語の科学文献は少ない。その理由として、ウコクの王女が眠る塚(Burial 2)、そして成人男性と少女が眠る塚(Burial 1)のあるAk-Alakha-3が、より貴重だとされていることが考えられる。事実、Ak-Alakha-3には注目を集めるだけの理由がある。塚は紀元前5世紀に作られたものであり、シベリアのアルタイ山脈に居住していたとされる、遊牧民のパジリク族の文化を色濃く反映しているためだ。

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成人男性、9-10歳の少年、そしてウコクの王女のミイラが眠るAk-Alakha-3 Burial mound 1が発見された、Ak-Alakha川(Argut川の支流)が流れるウコク高原(photo by Wikimedia commons)

数ヶ月前、Archaeology, Ethnology & Anthropology of Eurasia誌にAk-Alakha-3, Mound 1, Burial 1に埋葬された2名についての新たな研究結果が掲載され、T.A. Chikisheva氏とその同僚たちは、2体の骸骨についての考察をそれぞれ発表した。成人男性の骸骨はほぼ原型をとどめていたのに対し、
9-10歳の少女は頭蓋骨と歯のそれぞれ一部のみが確認されており、泥棒によって破壊されたと見られるが、さらに深い部分に埋葬されていたウコクの王女の骸骨は無傷だった。

興味深いのは、成人男性に脊椎破裂が見られる点だ。重度でない限り生活に大きな支障をきたすことのない症状だが、Chikisheva氏のグループはその男性の体に無数のアザがあり、また肩と骨盤の弱体化、そして背筋を伸ばした状態で座ることができないなどの症状を抱えていたことを発見した。これはこの男性が鼠蹊部と背中に痛みを抱えており、それをかばう形で腕を動かせ続けていたことを示唆しているという。この男性の死因は未だ不明だが、Chikisheva氏のグループによると、この男性が氷の女神の生贄として差し出され、むごい扱いを受けた可能性があるという。この男性の身体的損傷、そしてその骸骨がウコクの王女の上に眠っていたという事実は、この男性が生まれもった障害によって社会的に見下され、結果として過酷な運命をたどったことを示唆しているとしている。

従来の骨学的観点、そして最近のDNA鑑定に基づいた、Ak-Alakha-3, Mound 1, Burial 1に眠る人物の分析内容は、それぞれ2,500年前の遊牧民族の文化を現代に伝える興味深いものだ。しかし、この障害を負った男性と少女が、タトゥーで全身を覆った高貴な女性と共に埋葬されていた理由は依然として不明のままだ。

しかし12月1日に発表された内容は、Ak-Alakha-1に眠っていた遺体のDNA鑑定結果に基づいたものだ。著名な考古学者であるNatalya Polosmak氏は、1994年にナショナル・ジオクラフィック誌に寄せた記事で、以下のように述べている。「最初の夏、我々は氷の地面を何週間にもわたって掘り続け、やがて遺体を収容した空間に達した。そこにはヨーロッパ人と思われる2名の遺体が埋葬されており、片方は40歳前後の男性(Burial 1)、もう一方は16歳頃の少女(Burial 2)だった。斧、ナイフ、弓といった武器類が両者のそばに添えられており、また10頭の馬が共に埋葬されていた。少女は非常に背が高く、大柄だったと思われる」また同氏は、後にシベリアン・タイムズが引用する1994年発表の著書にて、男性の服装に身を包んだ女性が武器類と共に埋葬されていたという状況を「極めて特殊」だと語っている。

筆者の知る限り、英語で書かれた当時の科学文献には、骸骨の性別を判別する方法についての記述は見受けられない。骨学者は骨盤と頭蓋骨の特徴からその人物の性別を最大99パーセントの確率で判別することができるが、XもしくはYの染色体を判別するDNA鑑定の信憑性には及ばない。また、未成年の判別は成人のそれよりも困難だとされている。当時の社会では16歳は成熟期の始まりとみなされており、男女の身体的特徴がはっきりと骨格に現れ始める年齢であった。個人的には16歳の人物の性別を断定することは困難だと考えるが、考古学者たちはDNA鑑定という現代の技術をもって、主張の正当性を訴えようとしている。

10代の若者の性別について、DNA鑑定が骨学的証拠に基づいたものと異なる結果を示したことは、それほど驚くべきことではない。A.S. Pilipenko氏が先導したDNA鑑定が導き出した結論はこうだ。研究者たちは埋葬されていた10代の若者が男性であり、親子関係ではないものの、別の塚に埋葬された成人男性と血縁関係にあることを突き止めた。服装と髪型はあくまで当時の社会の文化を反映したものであり、必ずしも性別の判別に有効であるとはいえない。生物考古学における最新び幼少期研究では、社会における地位や容姿の基準が子供と大人とで異なるケースは決して珍しくなく、埋葬時の扱いについても同じことが言えるとしている。

今回のDNA鑑定結果により、Ak-Alakha-1, Mound 1, Burial 2に眠る30台前半の人物が男性であることが明らかになったものの、ウコクの王女が女性であったことはやはり間違いないと考えられる。シベリアン・タイムズは問題となっている塚の特定を急ぐとしている。その衝撃的な内容を考えればニュースが急速に広がったのも無理はないが、結論を出すのはシベリアン・タイムズによる続報を待ってからでも遅くはないはずだ。

編集 = Forbes JAPAN編集部

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