AIの活用が企業の競争力を左右するなか、単に業務をAIで効率化するだけではなく、業務そのものを変革する「AX(AI トランスフォーメーション)」への関心が高まっている。その第一歩として日本たばこ産業(JT)が選んだのは、人事領域だ。
overflowの伴走支援のもと、属人化したプロセスを見直し、新たな業務のあり方を模索している。JT人事部の志村慶と志水亮太、overflow代表取締役CEOの鈴木裕斗と取締役CTOの大谷旅人が、AIネイティブな組織づくり、そしてその先に描く未来について語り合った。
「最適解」と「現実解」の間を取ることが重要
――JTでは、なぜ人事部が先行してAX(AIトランスフォーメーション)に取り組むことになったのでしょうか。
志村慶(以下、志村):JTの人事部では、2022年から「デジタルソリューションチーム」を設置し、早い段階からデジタル技術の活用や生成AIの検証にも取り組んできました。そのなかで、生成AIを活用した人事関連情報の問い合わせシステムを独自に開発するなど、具体的な活用を進めてきました。また、24年頃からはAI活用が経営アジェンダとなり、AI活用をさらに推進する動きが本格化しました。
志水亮太(以下、志水):人事の業務は長年「人にしかできない」とされてきた分野で、結果として属人化・ブラックボックス化が進んでいました。しかし、その道のベテランがいつまでもそこにいてくれるとは限りません。標準化は避けて通れない課題だと以前から感じていました。当時「AI」という言葉こそ使っていませんでしたが、データとファクトに基づいた意思決定を推進しようという狙いで、このデジタルソリューションチームができました。
その後、IT部門が全社的にAXを推進していくにあたり、すでにAI活用の土壌があった人事部が、先行して取り組むことになりました。人事領域は変革の難易度が高いと想定される一方、ここで大きな変革を実現できれば、他部門への展開に向けた有益な示唆が得られると考えたためです。その推進役を担うことになったのが、私たちデジタルソリューションチームです。
――AXを推進するにあたって、パートナーとしてoverflowに声をかけた理由をお聞かせください。
志水:私が以前、経営企画部で新規事業を担当していたときに、overflowさんと一緒に仕事をしていました。そのときから技術力だけではなく、運用を設計して実際に形にしていく能力が高いという印象をもっていました。
AIを活用して業務を変えていく場合、技術的な最適解だけを提示されても、そのまま現場に導入できるとは限りません。「AIを使えばこうできます。だから明日から業務を変えましょう」というわけにはいかないのが、企業の実際の業務です。テクノロジー上の「最適解」と業務運用上の「現実解」の間を取らなければなりません。overflowさんは、その点が非常に長けていると感じていました。
鈴木裕斗(以下、鈴木):ありがとうございます。当社は、AI時代のエンジニア採用プラットフォーム「Offers」を運営する一方で、自社でAIを活用して組織を変えてきました。その経験と知見を生かし、企業のAX推進を支援するのが「Offers AX」です。
――どのようにしてAXを支援するのでしょうか。
鈴木:プロジェクトは「FDE(Forward Deployed Engineer)」が担います。これから先、エンジニアの仕事はソースコードを書くことだけではなくなっていくのではないでしょうか。AIネイティブ化を、課題発見から実装まで一気通貫で担うFDEのような役割が、これからますます重要になると考えています。そのためには、ユーザーのことを深く理解していなければなりません。現場の人が実際にどんな画面を使い、どんな操作をして、どのくらいの頻度で業務を行っているのか。その画面にたどり着くまでに、どんなステップを踏んでいるのか。そこまで理解しないと、最適な設計やシステムはつくれません。
AIに合わせた業務プロセスの再設計を
――人事部には、どのような業務課題があったのでしょうか。
志村:各チームから業務効率化の候補を募ったところ、約20件が集まりましたが、総じて言うと、人の手が入りすぎていることが課題でした。例えば、人事部から別の部署に情報を展開するだけでも、データをダウンロードして、加工して、整形して、それを別のチームに渡すといったプロセスが各所にあります。また、手順や判断基準がブラックボックス化し、担当者に依存しているため、そもそもどういうプロセスで業務をしているかすら分かりません。そうした小さな課題が積み重なっていました。
大谷旅人(以下、大谷):ヒアリングをしていて感じたのは、一つひとつの業務は、必ずしも年間で何百時間もかかるわけではないということです。例えば月に1回、4時間かかる業務なら、年間でも50時間弱です。そうすると、既存のRPAなどで自動化できるとしても、そのツールの使い方を覚える学習コストやシステムへの投資費用を考えると、果たして投資するべきなのかという話になります。そうした「小さいけれど対応が必要な仕事」がたくさんあるため、結局どれにも手をつけられない状態になりやすい。だからこそ、今回のように外部のチームが入って、一つずつ潰していくことに意味があると思いました。
――20件のうち、どの課題から取り掛かったのでしょうか。
志水:費用対効果とスピード感、いわゆる「クイックウィン」の観点で、まず8件を並行して着手することに決めました。人事部内では、ヒアリングをするだけで「また新しいことが始まるのか」と身構えられてしまうことがあります。だからこそ、最初はできるだけ早く結果が出て、「これはすごい」と実感してもらえる案件を選びました。overflowさんにお願いした案件のひとつが、Health & Safetyチームの健康管理業務でした。
大谷:Health & Safetyチームでは、半期ごとに全国の拠点から届く報告、人事システムと勤怠システムから抽出したデータ、合計3系統のデータを担当者が手作業で照合して集計レポートを作成していました。3系統を突き合わせるだけで約10の手作業ステップがあるうえ、システム間でデータが一致しないたびに、対象者一人ひとりについて手作業で確認・補正する必要があり、担当者の大きな負担となっていました。
――どのようにシステム化を進めたのでしょうか。
大谷:今回の案件で難しかったのは、プログラムをつくることそのものより、既存の業務に含まれている暗黙的なルールを理解することでした。使用していたExcelファイルは20年近く使われてきたもので、色分けで状態が示されていたり、セルの配置で履歴が管理されていたりと、長年の知識が積み重なっていました。同じ列名でも実際に使うのは色がついたセルだけといった暗黙のルールも多く、そこを正しく理解し、従来とまったく同じレポートが出ることを重視して検証しました。
志村:これまでさまざまな事業者と仕事をしてきましたが、ヒアリングを一度で終え、要件定義から実装まで一貫して担ってくれる会社には出会ったことがなく、驚きました。
――自動化によって、現場にどのような変化が生まれましたか。
志水:これまで15時間ほどかかっていた作業が、ボタンひとつで処理は2〜3分、作業全体でも数十分で終わるようになりました。その感動は非常に大きかったです。ただ、目指しているのは、単純な効率化だけではありません。私たちはAI活用を、効率化と高度化の二つに分けて考えています。効率化は、今までの仕事にかかる時間を減らすこと。一方、高度化は、そこで生まれた時間を使って、これまでできなかったことに取り組むことです。
鈴木:人事は、社内でも非常に多くの人から相談を受ける部署です。「こういうことを始めたいんだけど、どうすればいいか」「AIについて会社はどう考えているのか」といった相談をもち込まれることもあります。だからこそ、人事の担当者自身がAIを使ってその効果を実感することに意味があります。トップダウンだけではなく、現場から相談を受けた際に、「私たちの部署では、この業務をこう変えました」と具体的な事例を伝えられる。そうした積み重ねから、AI活用が現場に広がっていく可能性があります。そのため、人事からAXを始めるのは、非常に自然な流れだと考えています。
――今後、人事部門としてはどのような展望を描いていますか。
志水:蒸気機関や電気が産業革命をもたらし、人の動き方そのものが変わっていったように、AIの時代にも同じような変化が起きるはずです。その変化に合わせて人員配置や業務プロセス全体を設計できるのは、人事以外にないと考えています。効率化のさらに先にある、会社全体の高度化にまでつなげられたら理想的です。
志村:AIの活用が進んだとき、人間側には何が求められるのか。新入社員たちはすでにAIネイティブとしてAIを使いこなしています。一方で、これから従業員にどのような役割やスキルを求めていくのかは、明確に定義していかなければなりません。AI時代に必要な人財像を描き、組織のあり方そのものを変えていく。それこそが、これからの人事が向き合うべき大きな課題だと考えています。
鈴木:JTさんがこれまで積み重ねてきた取り組みを、「線」のようにつないでいきたいと考えています。複数の工程をAIでつなぎ、一連の業務パイプラインとして動かしていく。その線を何本も走らせていけば、人の介入を最小限に抑えながら業務が回る「面」へと広がっていきます。そして、それらが積み重なることで、全社的なAXへとつながっていく。
JTさんの場合、データやIT環境がグローバルで管理されているため、全社のAXにはデータ構造そのものから議論する必要があります。そこには、さらに大きな可能性があると感じています。データと業務をより有機的につなぎ、全社的なAXへと発展させていく。その次のステージに向けて、引き続きご一緒させていただきたいと思っています。
Offers AXとは
人事領域を起点に企業のAXを支援するサービス。採用や労務、評価、組織開発など、人事業務におけるAI活用のテーマを整理したうえで、AIエージェントの開発から導入、運用・定着までを一気通貫で支援。面接内容からの評価レポート作成やスカウト文面の生成など、具体的な業務へのAI実装を目指す。
しむら・けい◎日本たばこ産業 人事部次長。マーケティンググループデジタルマーケティング推進部などを経て現職。デジタルソリューションチームにて、人事業務のデジタル化を推進する。
しみず・りょうた◎日本たばこ産業 人事部。テーブルマークへの出向、デジタルマーケティング推進部などを経て現職。デジタルソリューションチームにて、人事業務のデジタル化を推進する。
すずき・ゆうと◎overflow 代表取締役CEO。サイバーエージェントで広告営業を経験。その後、Ameba管轄責任者に就く。2014年にスタートアップの代表取締役就任。その2カ月後に同社がディー・エヌ・エーの子会社となり、子会社代表とDeNA広告部長を兼任。17年、overflowを創業し現職。
おおたに・たびと◎overflow 取締役CTO。2010年にサイバーエージェント入社。Ameba事業本部でシステム開発・運用責任者、事業部ボードとして組織運営などを務める。メタップスを経て17年、共同創業者としてoverflowの設立に参画し現職。



