学習研究における意外な発見の1つは、演習中にどれだけうまくできたかは、後にどれだけ記憶に残るかを判断する指標としてあまり当てにならないことが多いという点だ。ときには、この2つが正反対の方向を示すことさえある。
このギャップに関する研究の多くは、米カリフォルニア大学ロサンゼルス校の心理学者ロバート・ビョークが「望ましい困難」と呼んだ概念が端緒となっている。この概念では学習の進みが遅く感じられたり、確信が持てなかったりするような特定の努力こそが、実際に学習内容を定着させる要因だとしている。何かを思い出すために努力を要する場合、その記憶はより強固なものになる。学習があまりにも簡単に進むと、その内容は記憶に残りにくくなる傾向がある。
これは不快な考え方だ。というのも、私たちの多くは容易さは物事が順調に進んでいることの表れだと考えているからだ。そしてこれは最も有用な学習方法が人々に避けられがちな理由でもある。そうした不快感がなぜ役に立つのか、そしてどこに限界があるのかを理解すれば、この学習方法をうまく活用することがずっと容易になる。そのやっかいであること、つまり必要以上に困難に感じられる学習こそが、真の進歩と、単なる「進歩しているという実感」を分かつ境界線になることが多い
ChatGPTを使って数学の問題を解いた高校生、AI使用不可の問題は未使用者以下
この仕組みがどのように働くかは生成AIを見るとよくわかる。チャットボットは難しい問題を数秒で解くことができるため、その問題の解き方を学ぶために本来必要だった努力の大部分が省かれる。学術誌『PNAS』に2025年に掲載された研究では、高校の数学で生徒が問題を解いているときに通常版のChatGPTを利用すると、それを使える間は成績が向上した。だがChatGPTを使用不可とすると、ChatGPTをまったく使ったことのない生徒よりも成績が悪くなった。この研究では、このような形でAIを利用した生徒は自分がどれだけ学んだかを過大評価する傾向もあった。
だからといって、AIが学習にとって悪いという意味ではない。同じ研究では、答えをそのまま示すのではなく、生徒を導く「家庭教師」のように設定されたAIを使った場合、こうした悪影響の大半を回避できた。重要なのは、そのツールが自分の代わりに思考を行うのか、それとも思考のプロセスが自分に残されるのかということだ。
同じ原則は一般的な「近道」にも当てはまる。何かによってほとんど努力せずにタスクがこなせるようになったとき、それによって自分の能力向上につながるはずだった部分まで取り除かれていないかを考えてみる価値がある。



