困難な「問題」には、たとえ見つけるのが難しくとも、必ず良い解決策が存在する。しかし「ジレンマ」には、良い解決策など存在しない。提示されたすべての選択肢に重大な代償が伴い、組織がどの代償を支払うかを決断することこそがリーダーの仕事となる。
意思決定に関するアドバイスの多くは、こうした状況を想定していない。そうしたアドバイスは、障害となるのは不確実性であると前提している。より優れた情報を集め、分析をやり直せば、正しい道は自ずと明らかになるというわけだ。
それは「問題」に対しては有効だ。しかし、真の「ジレンマ」においては、逆効果になりかねない。私は、経営幹部たちが自分たちに起きていることへの確信を深めていく一方で、週を追うごとに、それに対して手を打つ能力を失っていく姿を見てきた。
「より多くを知ること」の代償
不確実性に直面したとき、さらなる情報を求めるのは自然な反応であり、通常は賢明でもある。だが情報には時間がかかり、時間は決して無償ではない。数字を検証している間にも、相手側は判断を進めている。サプライヤーは生産能力を再配分する。銀行はリスクを再評価する。規制当局は調査ファイルを開く。引き留められたはずの人材は別の仕事を見つける。最初の分析が依拠していた前提は、静かに期限切れになる。
したがって問うべきは、ほかに何を知る必要があるかだけではない。それを知るために何を失うのかである。あなたは時間と選択肢を情報と引き換えにしている。その取引は、きわめて有益なこともあれば、破滅的なこともある。重要なのは、会議室にいる誰かが気づいているかどうかにかかわらず、それが取引であるという点だ。
ケネディの海上封鎖
1962年10月、ジョン・F・ケネディ大統領は、ソ連がキューバにミサイル基地を建設していることを知った。目の前にある選択肢の中に、魅力的なものは一つもなかった。空爆はミサイルを排除できるかもしれないが、戦争を引き起こす可能性がある。侵攻すれば、戦争の可能性はさらに高まる。ミサイル受け入れは戦略的バランスを塗り替えてしまう。さらなる情報収集を待てば、ソ連の陣形は日ごとに強固になっていく。
彼は海上封鎖を選んだ。それはしばしば、正しい答えとして記憶されている。私は、それは読み違いだと考える。封鎖は問題を解決したわけではない。翌週に別の決断を下す能力を失わずに、差し迫った脅威に対処したのである。すべての選択肢が悪いとき、最善の選択は、次の選択を開いたままにしておくものになることが多い。
誰も選んだと認めない選択肢
取締役会が「何もしない」という決定を記録することはめったにない。代わりに記録されるのは、「数字を検証する必要がある」「状況の推移を見極めるべきだ」「まず足並みをそろえる必要がある」といった言葉である。これらはいずれも正当であり得る。同時に、慎重さを装った「待つ」という決定でもあり得る。
だが、待つことも一つの選択肢である以上、他のあらゆる選択肢と同様に評価されるべきだと私は考えている。その基準はシンプルだ。待つことで得られる情報は、それを手に入れる過程で失う選択肢に見合う価値があるだろうか。
ここで再びケネディが重要になる。封鎖もまた、待つことの一形態だったからだ。違いは、時間を稼ぐ間に状況を変えた点にある。企業における待機の多くは、その逆である。時間を稼いでいる間に、状況が会社を変えてしまう。ある種の待機は選択肢を守る。別の待機は選択肢を燃やし尽くす。この2つを見分けられないリーダーは、後者を選びながら、それを前者だと説明しがちである。
私はサプライヤーの危機において、こうした状況を何度も目にしてきた。あるメーカーが、極めて重要なサプライヤーが破綻しかけていることに気づく。影響を正確に把握するために6週間が費やされる。数値が合意に達した頃には、サプライヤーを救済するか、別の調達先を確保するかという選択の余地はすでに失われている。その決断を下したのは取締役会ではない。時間の経過が下したのである。
4つの問い
状況が「問題」から「ジレンマ」へと移行したとき、いかなる追加分析よりも、次の4つの問いが効果を発揮すると私は考えている。
1. 何を守るべきか? すべてを守ることはできない。人、流動性(資金)、法的地位、顧客関係、戦略的実力など、譲れないものを決めること。通常、それは5つも譲れないものがあるわけではなく、1つか2つに絞られる。
2. 何を犠牲にできるか? すべてを「譲れないもの」と宣言することは、決断を避けることに等しい。すべてが譲れないのであれば、そこに戦略は存在しない。
3. 待つことのコストは何か? 待つことで何が明らかになるかだけでなく、それが明らかになるまでに、どの選択肢が失われてしまう可能性があるかをリストアップすること。
4. どの結果を引き受ける覚悟があるか? この問いは、意図的に意思決定の主体を組織から個人へと移す。「失敗したときにどの選択肢を擁護できるか」と問うことと、「どの結果に対して自分が責任を負う覚悟があるか」を問うことの間には、大きな違いがある。前者の問いは保身を求め、後者の問いこそがリーダーの仕事である。
次の意思決定を維持する
安定した環境においては、最適化が正しい本能である。最善の成果を見つけ出し、それに注力する。しかし、変動する環境においては、今日最も素晴らしく見える成果が、明日には他のすべての選択肢を奪い去る要因になるかもしれない。一見パッとしない選択肢であっても、身動きが取れる余地を残すものの方が、多くの場合においてより強力な選択となる。なぜなら、華々しい成果の背後にある前提は、その成果が結実する前に期限切れを迎えてしまうからだ。
これこそが、私が「意思決定における優位性(decision superiority)」と呼ぶものである。それは、正しい判断をより素早く下すことではない。事実や情報、前提が目まぐるしく変化する中で、重大な意思決定を下す能力を維持し続けることなのだ。
最適化の限界
容易な決断からリーダーの資質を推し量ることはできない。だが、すべてのステークホルダーを守り、あらゆる損失を回避し、全員が支持できる結果をもたらす道がどこにも存在しない、という状況は必ず発生する。分析を重ねたところで、その現実が消え去るわけではない。
リーダーの任務は、存在しない確実性をでっち上げることではない。何を守るべきかを知り、何を諦めるべきかを受け入れ、待つことのコストを算定し、残された選択肢が消滅する前に行動することである。
すべての選択肢が間違っているとき、自分が引き受ける覚悟のある結果を選択せよ。そして、明日も自分が意思決定を下せる状態を確保しておくことだ。



