売上高は約540億円。その半分以上を米国事業が占める。いまや日本とアメリカを中心に、オフィスへコーヒーや水、清掃関連サービスを届けるダイオーズ。だが、その原点は東京・浅草の一軒の米屋だった。
「米を届ける自転車の荷台に、ほかの商品も載せられないか」
そんな素朴な着眼点から、洗剤、マット・モップ、オフィスコーヒーへと事業を広げ、国内では直営と加盟店のネットワークを構築。さらに米国では、150件を超えるM&Aを重ねながら事業基盤を築いてきた。その成長の歴史は、一つの大ヒット商品で市場を制した物語ではない。
家庭向けからオフィス向けへ。国内では加盟店網を広げ、米国ではM&Aへ。日本式の成功モデルをそのまま海外に持ち込むのではなく、商品開発や事業運営を現地の人材に任せる。壁にぶつかるたびに、「何を残し、何を変えるか」を選び続けてきた結果が、現在のダイオーズだ。では、同社はなぜ半世紀以上にわたり成長を続けてこられたのか。代表取締役社長の大久保洋氏との対談から、その経営判断をたどる。
米屋の商圏が、オフィス進出のきっかけになった
大久保氏の父である創業者 大久保真一は、浅草の米屋に生まれた。米を中心とする商売をもっと広げたいと考え、米国で流通を学んで帰国した後、配達機能に目をつけたという。当時、重い米を家庭へ運ぶのは米屋の仕事だった。その訪問先に洗剤なども届ければ、新しい売上をつくれる。やがてダスキンの「化学ぞうきん」も扱うようになった。
しかし、販路を広げようとすると壁に突き当たった。米屋の組合には商圏の取り決めがあり、区域を越えて配達すると苦情が来る。米を売っていないと説明しても、受け入れられなかったという。そこで向かったのが、店舗やオフィスだった。家庭向けの商圏に縛られず、マットやモップを届ける。成長を阻んだ制約が、業務用市場へ踏み出すきっかけになった。
大久保氏によれば、営業に学生アルバイトを活用し、配達を担う人を組み合わせる仕組みをつくったことで、創業者は事業を広げられると確信した。顧客を獲得する仕事と、届け続ける仕事を組織として回す。後の成長を支える原型は、この時期にできていた。



