AIは何億回でも「死ねる」——だからこそ速く、だからこそ熱が宿らない
なぜAIには智慧がないと言えるのか。最大の理由は、身体を通じた経験がないからだと思います。もしAIが人間と生活を共にし、熱い鍋に触れて手を引っ込め、仕事の失敗に胃を痛める「デジタルツイン」となれば、限りなく智慧に近いものを持つかもしれません。フィジカルAIの進展は、その方向への第一歩なのでしょう。
しかし決定的な違いが残ります。AIは死なないのです。人間のF1レーサーは「ここで踏み込めば死ぬかもしれない」という恐怖と戦いながら限界を攻め、その体験から智慧を得る一方、仮想空間のAIレーサーは何億回クラッシュしても、次の瞬間リセットして再スタートできる。死なないことによる圧倒的な学習速度——最適解への到達速度で人間はAIに勝てない。だが裏を返せば、AIには失うものがありません。だからAIの吐き出す正解には、熱が宿らないのではないでしょうか?
AIは社会の「ひずみ」をそのまま映す鏡である
もう一つの理由は、学習データそのものの限界にあります。AIが学ぶインターネット上のデータは「真理」ではなく、人間社会が過去に吐き出してきたバイアスの集積に過ぎません。画像生成AIに「幸せそうなおばあさん」と入力すると特定の人種・階層に偏った画像ばかりが出力された事例や、顔認識AIの公平性への懸念から導入に慎重な国があることは、その証左でしょう。
さらに言葉は生きています。「ポチる」「ワンチャン」のように意味は時代とともに変わり、フロッピーディスクの保存アイコンを知らない世代も現れています。過去の言葉と常識の集積であるAIの出力が、どの時代の、どの文化圏のバイアスを含むかを見極め、現在を生きる人間に届く生きた言葉へ翻訳します。AI時代のリーダーには、このトランスレーターの役割が求められます。
失敗とは「データ取得」である——そして人間は「対数」でしか感動しない
では人間はどう智慧を獲得し、智慧なきAIをどう使うべきか。答えは実験室にある。実験室の住人にとって、失敗は失敗ではない。100回実験して100回うまくいかなければ、それは「100通りのうまくいかない方法」を発見した成果となります。この失敗データの蓄積こそが智慧へと昇華されるのです。ソニーの伝説的技術者・大曽根幸三氏の言葉「上司がファジーだと、部下はビジー」のとおり、パラメータを明確に設定し、明確に変更する調整力が、AIへの指示においてもリーダーシップの正しい姿となるでしょう。
そして目指すべきは前年比10%増ではなく「10倍の未来」なのです。人間の感覚は対数的であり(ウェーバー・フェヒナーの法則)、音のエネルギーを2倍にしても耳には「少し大きくなった」程度にしか聞こえない。市場も同じです。性能1.2倍は誤差として処理され、桁が変わって初めて人の心と市場が動くのです。AIに問えば「競合の弱点を10%改善せよ」という優等生の答えが返るが、それは永遠の二番煎じになりかねません。エビデンスからは10%の改善しか生まれない。データに基づかない「妄想」だけが、10倍のジャンプを描けるのです。AIには非常識な初期パラメータ——人間の妄想——を与えなければならないでしょう。


