ブルックスのフォロワー数は、Flipagramに比べてフェイスブックが66倍、インスタグラムが5倍もいるにも関わらずだ。最近ブリトニー・スピアーズが投稿した、子供と車の中で踊っている動画は50万ビューを獲得した。
Flipagramに投稿される動画の中には、故人の追悼やパリのテロ攻撃の動画といったシリアスなものも含まれるが、大半を占めるのは旅行中の光景や若者たちが部屋で踊っている様子を撮影したクリップやハウツー動画などだ。中には、飼い犬や家族を撮影したFlipの閲覧数が百万回を超える“Flipastars”と呼ばれる人気ユーザーもいる。「Flipagramを見ていると、アメリカのテレビ番組の視聴者数がいかに少ないか思い知らされる」とMoritzは話す。
真っ黒な髪に白髪交じりの無精ひげを蓄えたモヒットは46歳のイラン系移民だ。ロサンゼルスのサンタモニカ通りに面した目立たないオフィスで、急成長中のビジネスを指揮している。部屋の中にはモヒットが母親から受け継いだレコード盤が溢れている。
「我々は、ビジュアルコンテンツを使った大衆的な物語作りのためにサービスを設計している。あらゆる男性、女性、子供が使えるようにしたいんだ」とモヒットは口早に熱く語った。
「スキルがなくても、画面をタップすれば操作できる。僕は売春婦自身が語った売春婦の生活のような物語に興味があるんだ」
モヒットは9歳の時に革命を逃れるために家族と一緒にテヘランを離れ、フランスとイギリスを経由して、南カリフォルニアに落ち着いた。進学したUCLAでは数学と応用科学を専攻し、卒業後はコンサルタントを経てペンシルバニア大学ウォートンスクールでMBAを取得した。ビジネススクールを卒業する直前の1996年、授業のプロジェクトをきっかけに消費者レビューサイトの先駆けとなるBizRateを創業した。
その後、価格比較サイトのShopzillaを立ち上げ、世界最大のショッピング検索エンジンへと成長させた。何れのサイトもドットコムバブルが崩壊する中で順調に利益を上げ、2005年に両事業をScripps社に5億2500万ドルで売却した。
その後、モヒットはいくつかのソーシャルメディア・アプリを自己資金で作ったが、どれもうまくいかなかった。最後に立ち上げたCheersというアプリも失敗し、モヒットはチームにアイデアが尽きたと伝えると、CTOのBrian Dilleyが99セントのiOSアプリ「Flipagram」を開発したJosh FeldmanとRaffi Baghoomianをモヒットに紹介した。
二人は、デジタル広告会社で働く傍ら、アプリを開発していた。2013年9月にスタジオシティにある寿司屋で顔を合わせた4人はすぐに意気投合し、数週間後にモヒットはFlibapramを買い取った。買収金額は明らかされていない。その後1ヶ月の間に4人の共同創業者たちはアプリの無料化やインターフェースの簡素化を行い、全ての動画にFlipagramのウォーターマークを付け加えた。こうした取組みが功を奏し、アプリのダウンロード数やFlipの投稿数が飛躍的に伸びて7000万ドルの資金調達に結び付いたのだった。
Flipagramは急成長中のスタートアップには珍しく、10月に社員の20%に当たる17名を解雇している。モヒットにとってその理由を聞かれることは不快かもしれないが、彼はプロダクトテストの業務を自動化したためだと説明している。Flipagramに近い筋によると、ユーザーの継続率が低いことと、弁護士費用や楽曲のライセンス費用が重荷になっていることも背景にあるという。Flipagramはこれを否定したものの、詳細な説明は拒んでいる。ユーザー数については、前回発表の3300万人から増加しているとしている。
モヒットは、今後の大きな取組みとしてFlipagramを真のソーシャルネットワークへと進化させることと、アルゴリズムを用いてユーザーが関心のある動画を最適なタイミングで表示することを挙げ、収益を上げることは引き続き最優先ではないと話す。今のところ、Flipagramの収益源は、ユーザーがウォーターマークを外す際に支払う1.99ドルの手数料と、iTunesで楽曲が売れた場合に得る紹介料だ。
今後、Flipagramはフェイスブックとツイッターから標的にされ、買収の対象になるかもしれない。また、Musical.lyやDubsmashのような新興アプリとの競争にも直面することになる。「我々は壮大なビジョンの実現に向けてスタートを切ったばかりだ」とモヒットは言う。「ゴールまでは山あり谷ありだ」