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リーダーシップ

2026.10.08 21:34

予測ではなく責任を──不確実性の時代に問われる5つのリーダーシップ

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9月下旬は、ナパバレーの収穫期である。ブドウの房が重そうに実り、日中はまだ暖かい。毎年この時期、私たちは未来に焦点を当てるリーダーたちを少人数で集め、次に何が起こるかを考えるために3日半の時間を過ごす。今年は、世界で最も称賛される企業のマーケティング、戦略、イノベーションのリーダーたちが参加した。彼らは普段、今四半期に何をすべきかという目の前の懸念事項に追われて暮らしている。しかし、この数日間だけは、もっと先を見据えてもらうのだ。

それが「Jump Offsite」の背後にあるコンセプトだ。午前中には、他の誰もが考えもしないようなことを先んじて考えている人々の話を聞く。意識について探究するマイケル・ポーランや、人工知能から量子コンピューティングまで私たちを導いてくれたミチオ・カク、そして次に何が起こるか分からない状況での意思決定について語ってくれたバリー・シュワルツといった面々だ。

その後、ドアを閉める。午後には、参加者が少人数の「ディープダイブ(分科会)」に集まり、それらのアイデアが自分たちの率いる組織にとって何を意味するのかについて議論を戦わせる。私たちは、得られた学びは共有するものの、発言者の身元は秘匿することに同意している。当然の例外は、自身のアイデアを公に共有する立場にある登壇者たちだ。このシンプルな合意が、会話の質を劇的に変える。参加者は、まだ下していない決断や、答えの出ない問い、および通常のカンファレンスでは決して口にしないような懸念について本音で語り合うことができる。先週聞いたことのすべてを明かすことはできないが、さまざまな場所で繰り返し浮かび上がったいくつかのテーマを紹介したい。

主体性を取り戻す

絶大な影響力を持つ立場にある人々が、身動きが取れないと感じる状況について、いかに頻繁に語っていたかは非常に印象的だった。「市場はこれを期待している」「取締役会が許さない」「競合が動いているから、私たちも動かなければならない」。これらは現実の制約であり、大組織を率いたことのある人なら誰でも、その制約がいかに強力であるかを知っている。それでも、私たちは制約を「避けられない運命」に変換してしまいがちだ。その最たる例が人工知能(AI)である。AIは、私たちが本当に望んでいるのか確信が持てないまま、避けられないものとして迫っているように見える。

ムンジャル・シャーは有益な反例を示してくれた。彼の会社「Hippocratic AI」は、ヘルスケア向けのAIシステムを構築している。彼の見解では、私たちは「AIか人間か」という選択肢で考えるべきではない。多くの用途において、その選択は「AIか、それとも誰もいないか」なのだ。例えば、猛烈な熱波が都市を襲ったとしよう。何千人もの高齢者や医学的配慮が必要な人々の安否を確認する必要があるが、すべての対象者に電話をかけるだけの看護師は到底足りない。AIが電話をかけなければ、誰もかけないことになる。シャーはAIをそうした隙間を埋める手段と捉えているが、これは即座に「どのようにしてその対話を、信頼に値するほど安全なものにするか」という別の課題を生む。これについてシャーの主張は明白だった。AIはより安全にできる。それを最優先事項にしさえすればいい。そして、自分自身の主体性を取り戻すことだ。

コリー・ドクトロウは、別の角度から主体性にアプローチした。彼の提唱する「enshittification(粗悪化)」という概念は、デジタルプラットフォームが最初はユーザーに多大な価値を提供することから始まり、徐々にその価値をビジネス顧客へ、そして最終的には自社へと移行させていく仕組みを説明している。これは避けられないライフサイクルであるかのように感じられる。しかしドクトロウが指摘したのは、これが起きたのは、政府が競争、プライバシー、規制に関してそのようなインセンティブを生み出す選択をしたからだということだ。その選択をしたのは私たちだ。そして、私たちは異なる選択をすることもできる。

力を持つ者が「自分にはどうすることもできない」と言い訳するときには、このことを思い出す価値がある。権力者に主体性がないなどと言わせてはならない。そして、あなた自身に主体性がないなどと、誰にも思い込ませてはならない。ひとたびその主体性を主張し始めたら、それを行使した結果に対しても責任を負わなければならない。

自分たちの影響を考慮する

著述家でありグローバルな活動家でもあるリン・ツイストは、その週の残りを通じて人々が何度も口にした、ある言葉を遺してくれた。それは「レガシーとは、あなたが遺すものではない。レガシーとは、あなたの生き方そのものである」というものだ。私たちの多くは、レガシーを過去を振り返るもの、つまり自分が去った後に残るものと考えてきた。築き上げた会社、変革をもたらした制度、育て上げた子どもたち。しかしツイストの指摘は、もっと現在に根ざしたものだった。私たちは、その時点ではごくありふれたものに思える選択を通じて、常にレガシーを創り出しているのだ。水面を進むボートのように、私たちの動きそのものが航跡(引き波)を生み出している。

大組織を率いている場合、その航跡はとりわけ大きくなる。ある製品に関する決定が何百万もの顧客に影響を及ぼすかもしれない。組織再編が何千人ものキャリアや家庭を変えてしまうかもしれない。新たなテクノロジーが、その後の人々の働き方を何年にもわたって変えてしまうかもしれない。意図された影響もあれば、最初の意思決定を下した場所から遠く離れたところで現れる影響もある。いずれにせよ、リーダーは好むと好まざるとにかかわらず、多大な影響を与えているのだ。

賢明に選択する

オフサイトの冒頭で、私は最近よく使っている言葉で開会の挨拶を締めくくった。「私たちの選択には意味がある。賢明に選択しよう(Choose wisely)」。私は、バリー・シュワルツが『Choose Wisely(賢明な選択)』という新著を出していたことを失念していた。シュワルツはおそらく、20年以上前に執筆した名著『選択のパラドックス(The Paradox of Choice)』で最もよく知られている。

シュワルツはキャリアの大部分を、人々がどのように意思決定を下すかの研究に費やしており、私たちがより良い選択をするための鋭いアドバイスを共有してくれた。彼は「確率的不確実性」と「根源的不確実性(ラジカル・アンサータンティ)」との間の重要な違いを提示した。

50個の赤いボールと50個の青いボールが入った瓶を想像してほしい。どの色のボールを取り出すかは分からないが、確率は理解している。これが「確率的不確実性」だ。一方、「根源的不確実性」は異なる。この場合、瓶は不透明で、中に何が入っているか全く分からない。赤いボールが50個あるかもしれないし、3個かもしれない。想定していなかった緑色のボールが入っているかもしれない。確率自体が未知であるにもかかわらず、あなたは何をすべきか決定しなければならない。

今日のリーダーシップの多くは、この2つ目の瓶のように感じられる。3年後にAIの能力がどうなっているか、それを取り巻くどのようなビジネスモデルが登場するか、顧客がどう反応するか、規制当局がどう動くか、あるいはその過程でどのような意図しない結果が生じるかは誰にも分からない。それにもかかわらず、マネジメントの多くは「最適な答え」を見つけることを前提に構築されてきた。私たちはさらにデータを集め、再分析を行い、可能な限り最善の選択肢を求め続ける。

確率的不確実性の世界においては、「マキシマイザー(最大化を求める人)」であることが好ましい。つまり、最善の選択肢が見つかるまで情報を集め続け、選択肢を比較検討するのだ。しかし根源的不確実性の下では、シュワルツは「サティスファイサー(満足化を求める人)」になる方が良いと主張する。あらかじめ「十分に満足できる基準」を決めておき、その基準をクリアする最初の選択肢を選ぶのだ。確率が分からないとき、真のスキルとは、自分が信頼できる基準を設定し、いつ探索を止めるべきかを知ることである。ほとんどのビジネスフレームワークは成果の最大化を中心に構築されているが、それこそが私たちがトラブルに陥り続ける一因なのだ。

信頼を宣言する

ジャミール・ザキの核心的な指摘は、冷笑主義(シニシズム)はしばしば知恵を装う、ということだ。シニカルな人々は他人に最悪の事態を想定しているため、物事がうまくいかなくても滅多に驚かない。そのため賢そうに見える。しかし、その姿勢には代償が伴う。シニカルな人は判断を誤りやすく、結果も悪くなりがちだ。より良い成果を上げるのは、証拠を求める懐疑心を持ちつつも、証拠が信頼するに値する理由を示したときには快く信頼する人々である。

問題は、不信感が私たちの周りの環境を変えてしまうことだ。部下を信頼できないと仮定するリーダーは、より多くの監視、承認、コントロールを生み出し、人々はそれに適応していく。ザキは、素晴らしく実践的な代替案を提示した。それは「声を大にして信頼する(Trust loudly)」ことだ。機密性の高い情報を共有するときは、相手を信頼しているからそうするのだと説明する。誰かに重要な任務を任せるときは、相手の判断を信頼していることを明確に伝える。信頼を言葉にすることでそれが可視化され、可視化された信頼は広がっていく。

ジョアン・ガルビンは、同じ原則がコミュニティ規模でどのように機能するかを示してくれた。彼女はマイクロソフトで、増大し続ける世界のコンピューティングパワーを支えるために必要な巨大インフラの構築に携わっていた。近隣に巨大なデータセンターを建設するという提案に対し、地域コミュニティが「水源はどうなるのか?」「電力はどこから供給されるのか?」「コミュニティは返礼として何を受け取れるのか?」といった当然の疑問を抱くのは無理もない。ガルビンのアプローチは、そうした疑問に耳を傾け、人々が共存でき、理想的には恩恵を受けられるものを共に作り上げることから始まる。信頼は、設計仕様書に書き込まれるべきものなのだ。

講演の後半で、ガルビンはこれらのアイデアのすべてを、予想もしなかった方法で結びつける問いを投げかけた。それは「チャンピオン(擁護者・支持者)」になることについてだった。

あなたは誰のチャンピオンになるのか?

ガルビンは私たちに目を閉じ、身近にいる「常識にとらわれない人」を思い浮かべるよう求めた。既存のシステムにうまく適合しない何かを推し進めようとし続ける人。他の人が気づかない可能性を見出している人。その執拗さゆえに、時に厄介者扱いされるような人だ。そして、その人のチャンピオン(擁護者)になるとはどういうことかを考えるよう求めた。

このワークは驚くほど難しいものだった。というのも、あまりにも多くのチームメンバーの顔が思い浮かんだからだ。私の頭の中では次から次へと異なる人物がよぎり、その途中で胸が熱くなるのを感じた。私の周りは「常識にとらわれない」人々だらけだ。私がJumpを愛してやまない理由の多くは、誰かが当たり前の答えを受け入れることを拒み、さらに押し進め、奇妙なことを試し、あるいはもっと良くできるはずだと主張してくれたからこそ存在している。彼らは何度も私を困らせてきたが、私はそのことにも感謝している。

目を閉じて立ち尽くしながら、彼らのためにさらに優れたチャンピオンになるために何ができるだろうかと考えていた。誰かを信じることは素晴らしいことだ。だが、チャンピオンになることは、それ以上のものを私たちに求める。チャンピオンは、アイデアがまだ脆弱なうちに「上空からの援護(エアカバー)」を提供し、本人がまだ自分で開けられない扉を開け、周囲がその人の実力を認める前にその人を重要会議の席に着かせ、あるいは他人が前進し続けられるように政治的リスクを引き受けることができる。時には、常識にとらわれない人が必要としているのは、もう少しの間、常識にとらわれないままでいるための十分なスペースだけなのだ。

予測以上のもの

私たちは未来について語るためにナパへと赴き、会場には確かに多くの未来があった。私たちは人工知能や量子コンピューティング、意識やデータセンター、新しい組織形態、そして数年前にはほとんど存在しなかったテクノロジーについて語り合った。しかし、私たちが持ち帰った問いは、際立って人間味に満ちたものだった。自分はどれほどの主体性を主張する覚悟があるだろうか? 自分の意思決定はどのような航跡を後に残しているだろうか? 確率が未知であるとき、どのように判断を下せばよいのか? 他人が自分とともに行動してくれるほどの信頼を築けるだろうか? 今よりももっと強力な支援を向けるべき相手は誰だろうか?

私たちは、次に何が起こるかを理解するために多くの時間を費やしている。シナリオを構築し、新興テクノロジーを追跡し、変化する顧客のニーズを研究し、変化のシグナルを探す。そうした作業は重要だ。何が起こり得るかを見極めることで、時間的猶予とより多くの選択肢が得られるからだ。しかし、未来とは本来、予測の課題ではない。それは「責任」の課題なのだ。一度そのことに気づけば、もう見て見ぬふりはできない。そして、その問いは私たち全員に突きつけられている。あなたは今、何をなすよう求められているのだろうか。

(forbes.com 原文)

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