スマートフォンに費やす時間に関して、多くの人は常に罪悪感を抱いている。スクリーンタイムは「減らせば減らすほど良い」という一般的なアドバイスが、かえって人々の罪悪感をあおっている。だが、スマホの使用とウェルビーイング(持続的な幸福感)に関する研究は、そのような単純なルールを支持していない。より重要なのは、生活全体においてスマホに費やす時間がどの程度を占めるか、その時間をどのように使うか、そして誰とその時間を過ごすか、という点にあるようだ。
私はそのバランスを「ゴルディロックス・スクリーンタイム」と呼んでいる(Goldilocks:ほどよい)。この表現は心理学の正式な用語ではなく、私が便宜的に使っているものだ。これは学術誌『Psychological Science』に2017年に掲載された研究で検証された「デジタル・ゴルディロックス仮説」という考え方に着想を得ている。研究者たちは、スクリーンタイムは適度であるときに最も健全である可能性があると提唱した。少なすぎると、今ではオンラインで行われるようになった社会生活から取り残される可能性があり、多すぎれば必要な活動を放置してしまう可能性がある。以下の3つの習慣は、その「ちょうどいい中間地点」がどのようなものかを示している。
習慣1:スクリーンタイムを最小限ではなく適度なものに
長い間、この分野では「置換仮説」という考え方が主流だった。この仮説では、スマホの使用量が増えるほど、より健全な活動に充てられる時間が失われるため、その害が大きくなると主張している。2017年の研究では、英国の若者を対象とした大規模な調査を通じてこの仮説を検証したところ、異なる傾向が浮かび上がった。
適度なスマホの使用は、ウェルビーイングの低下とは関連しておらず、場合によってはウェルビーイングがわずかに高まっていた。ウェルビーイングの低下が見られたのは、使用時間が非常に長かった場合だけで、その際も低下の幅はわずかだった。規則正しく睡眠を取るといった基本的な生活習慣に伴う差よりも小さかった。
このわずかなウェルビーイングの低下は見過ごされやすい。多くの10代の若者にとって、スマホは学校のない日にも友情を維持するための場所だ。スマホから切り離された10代の若者がより穏やかな気持ちになるとは限らない。他の誰もが参加している計画や会話から、自分だけ取り残されていると感じるかもしれない。
スマホを使用するタイミングや状況も重要だ。同じ研究では、何らかの悪影響が現れるまでは、10代の若者がスマホを利用できる時間は平日よりも週末の方が長くなっても問題なかった。このことは、問題なのはスマホの使用そのものではなく、それによって何が犠牲になっているかであることを示唆している。ある晩にスマホを2時間使った人が2人いるとする。1人は家族と一緒に番組を見て、いつもどおりの時間に就寝する。もう1人は、深夜を過ぎてもベッドの中で1人でスマホをいじり続け、翌朝は疲れた状態で目を覚ます。2人がスマホを使った時間は同じだが、それによって大切なものを失ったのは片方だけだ。
こうしたことから、何時間使ったかという数字ばかりを気にするのではなく、スマホの使用が何を犠牲にしているのかを考えたほうが適切だといえる。静かな午後の空き時間にスマホを使っているのであれば、その代償はおそらく小さい。だが、睡眠時間や身近な人たちと過ごす時間を日常的に奪っているのであれば、注意を払う価値がある。



