食卓では、AIは仕事の価値を低く見せることがある。取締役会では、AIは企業の価値を高く見せることがある。
どうやらAIは、資本政策表(キャピタライゼーション・テーブル)に載るまではインチキ扱いということらしい。
そして、そこに載った途端、戦略へと昇格する。
Cartaの2025年データによると、シリーズAのAIスタートアップには、バリュエーションの中央値で38%のプレミアムが付いていた。シリーズE以降では、そのプレミアムは193%に達していた。
CFA資格を持ち赤ペンを手にした誰かがこれを徹底的に批判する前に言っておくと、Cartaはスライド17にAとIの文字を加えれば魔法のように企業価値が生まれると証明したわけではない。測定したのは資本がどこへ向かっているかであり、すべての企業がそのプレミアムに値するかどうかではない。
それでも、市場はAIに票を投じただけではない。その選挙運動に資金を提供し、命名権まで買ったのである。
誰もがAIについて問い始めている
私は投資家、パートナー、ビジネスリーダーからAIについて定期的に質問を受ける。定期的に、というのは、私の忍耐が続く限り毎日という意味である。
彼らが尋ねるのは当然だ。私もそうしている。
質問している本人が、自分が何を聞いているのかを正確に理解している場合もある。それは極めてまれな出来事だ。
経営会議では毎回AIについて質問するように、という指示を受けただけの人もいる。
「あなたのAI戦略は何ですか」
確認完了。
次のスライドへ。
ガラスの向こう側にいる多くの人々は、AIを学ぶのではなく、AIについて語っている。
愛を込めて言っている。ある程度は。
「名詞」を確認しているだけではないか
「あなたのAI戦略は何ですか」という問いは賢そうに聞こえる。だが、戦略を策定する権限もなく、結果に責任を負うこともない人々の手にかかると、それは無意味で破壊的なものにもなり得る。
ここまで私たちを導いてきた問いを思い出すべきだ。どの顧客課題を解決するのか。どのような効率を生み出すのか。うまくいったかどうかをどう測定するのか。どの古い仕事をなくすのか。人間の判断はどこに残るのか。モデルが誤った場合に何が起きるのか。その改善は持続可能なのか。
そして今、これまで以上に重要なのは次の問いである。
AIに関する問いを主導している人物は、それがうまくいった場合、あるいはうまくいかなかった場合にどうなるのか。誰が責任を負うのか。
説明責任は一巡しなければならない。「AIを実現してこい」と言われた従業員、パートナー、リーダーのところで止まってはならない。
それは、すべての実験が成功しなければならないという意味ではない。責任者は現実の課題を選び、規律あるテストを実施し、誠実に測定し、素早く学び、悪いアイデアが恒久化する前に中止する、という意味である。圧力をかける側も、その問いの質について責任を負う。
特に、その圧力が、Grammarlyで文法チェックされ、ChatGPTで書かれ、ClaudeがAIで書かれた可能性のある記事からまとめた市場情報に基づくメモから始まっている場合にはなおさらだ。
それが現場の実行者に届く頃には、連鎖の半分は人工的なものになっているかもしれない。それなのに、なぜか説明責任はすべて人間に課される。
導入が失敗した場合、責任者はどれほど速く学び、軌道修正し、あるいは中止することを期待されるのか。
「よさそうだ」では、もはや通用しない。AIはあらゆるメモを洗練されたものにし、あらゆるスライドを知的に見せ、まだ形になりきっていないアイデアでさえ、誰かが6カ月かけて練り上げたように見せることができる。
AIは、アイデアの愚かさを少しも減らすことなく、プレゼンテーションを良く見せることができる。
資金とAIコンサルタントが到来した
ベイン・アンド・カンパニーは、運用資産総額3.2兆ドル(約505兆円)を代表する民間投資家を対象に調査を行った。彼らによると、ポートフォリオ企業の過半数が生成AIのテストまたは開発を進めており、約20%はユースケースを業務に組み込み、具体的な成果を上げていた。
ベインは、これほど初期段階の技術としては印象的だと評した。もっともである。確かにそうだ。
同社のより大きな結論は正しい。進展している企業は、AIを戦略的優先事項に適用し、定量化された便益を求め、関連指標を監視し、AIを戦略そのものではなく、戦略に資するツールとして扱っている。
それは名詞の確認ではない。本物の事業イニシアチブである。
資金は到来した。
取締役会からの問いも到来した。
AIコンサルタントは間違いなく到来した。
長年にわたり、コンサルタントは私たちにサーバー、デジタル化、クラウド、OCR、機械学習、自動化、ドラッグ・アンド・ドロップ式のカスタマイズを売ってきた。そして今、一夜にして、その多くが自らをAIコンサルタントとして売り込んでいる。
優れた人々もいる。単にタイトルスライドを変えただけの人々もいる。
デッキは違う。請求書は同じだ。
問題は、投資家、取締役会、CEO、AIコンサルタントが企業にAIへの取り組みを加速するよう促すべきかどうかではない。促すべきである。
問題は、その圧力が実際の事業成果に結びついているか、そしてその圧力をかける全員が、その後に起こることの責任を共有する意思を持っているかどうかである。
AI戦略とは、必須のスライドでも、ライセンス数でも、決算説明会で幹部が「AI」と3回言えばバリュエーションの妖精が現れると期待することでもない。
それは、説明責任を伴う一連の事業判断である。現実の課題、名前のある責任者、測定可能な成果、人間の判断をめぐる明確な境界線、モデルが誤った場合の計画、そして新しい手法が成功したときには古い仕事を取り除くという約束である。
市場は約束に対して対価を払うかもしれない。
成果を出すために報酬を得ている人々は、それでも証拠を示さなければならない。できればPowerPointではなく、損益計算書の中で。
だから、どうかAIについて問い続けてほしい。ただし、その問いが引き起こす仕事が、現実の事業課題または機会に結びつき、名前のある責任者を持ち、測定可能な成果を生むことを確認すべきだ。
そうでなければ、それはデューデリジェンスではない。
単にデッキのどこかに「AI」という名詞が出てきたことを確認するためにチェックボックスを埋めている、中身のないスーツ姿の人物にすぎない。



