個人経営が大半を占め、個人の技術やカリスマ性に依存してきた美容業界。近年、投資ファンドや異業種の参入により、事業承継を超えて成長を加速させる戦略としてのM&Aが広がっている。規模拡大にとどまらない成長を実現するM&Aの要諦とは何か。業界特化で支援を牽引するスピカコンサルティングの松栄遥に聞いた。
全国の美容室の数は約27万店。これはコンビニエンスストアの約5倍に相当する(厚生労働省:令和6年度衛生行政報告例、一般社団法人日本フランチャイズチェーン協会)。その大半は個人経営で、現場のスタイリストが経営者を兼ねるケースも多い。長らく外部資本や組織経営とは無縁とされてきた業界だが、M&Aを成長戦略としてとらえ直す動きが広がっている。
「以前は事業承継をきっかけとするM&Aが中心でしたが、近年は若い経営者が会社に残り、大手の資本力や採用力、マーケティング力を取り入れて成長を加速させるケースが増えています」
そう語るのは、美容業界のM&A支援に携わり続けてきたスピカコンサルティングの取締役を務める松栄 遥(以下、松栄)。松栄は大学卒業後、キーエンスで営業を経験。将来の起業を考えるなかで「経営とは何かを知りたい」と日本M&Aセンターへ転職した。その後、M&Aコンサルティング会社の共同創業を経て、2023年にスピカコンサルティングに参画。前職時代から美容業界のM&A支援を手がけてきた。
松栄によれば、ファンドが美容業界への投資に積極的になったのはここ数年のことだという。
「以前のファンドは、売上が美容師個人に依存しがちなこの業界への投資を敬遠していました。ですが2018年ごろ、ファンドと組んで組織化と規模拡大に成功する企業が現れ、状況が一変しました。属人的に見える美容室でも、仕組みさえ整えればしっかり成長できると証明され、投資対象としての見方が大きく変わりました」
松栄は、この変化こそが現在の美容業界M&A市場を象徴していると強調する。
人と組織に宿る、数字だけでは見えない価値
美容業界のM&Aで松栄が重視するのが、人を採用し、育て、定着させる力だ。正社員に加え、業務委託やシェアサロンなど美容師の働き方は多様化している。人材の流動性が高まるほど、個人の技術だけではなく、人が集まり、成長し続けられる組織をつくれるかが問われる。
「EBITDAマルチプルだけで企業価値を判断することはできません。採用できるのか、定着・育成できる仕組みがあるのか、その先のキャリアパスまで用意できているのか。そこまで見なければ本当の価値はわかりません」
一方、ITや人事、経理などはグループで共有できる。美容室経営者の多くは、現場で経験を積んできた美容師だ。バックオフィスを補完できれば、接客や人材育成、組織づくりといった自らの強みに集中できる。
松栄が支援した九州地方の美容室チェーンも、その一例だ。
経営者と出会ったのは約7年前。当時、同社は自力で10店舗程度まで成長できる力をもっていたが、その先をどう描くかが課題だった。松栄はすぐにM&Aを進めず、まず店舗ごとの損益の見える化や組織づくりを優先することを提案した。会社の価値を高めたうえで、次の成長にM&Aを生かすためだ。
その後、同社は地域で存在感をもつ美容室チェーンへ成長し、大手グループとのM&Aを実現した。強みとなったのは、地元の美容学校との関係を背景とした採用力だ。地域での知名度、独自の集客力、地域密着ならではの物件の目利き、顧客のリピート、採用や育成の仕組み。決算書には表れない現場の強みを浮き彫りにしつつ、スタイリスト一人当たりの売上といった定量データも緻密に分析する。感覚論に頼らず、現場の真価を客観的な根拠として買い手に届けることが、松栄の一貫した流儀である。
「何を変えないか」からPMIを考える
企業固有の価値は、M&A後も守る必要がある。美容室では、顧客との関係を築き、売上を生み出すのはスタイリストだ。買い手が制度や経営方針を一気に変えれば、人材が離れ、それまで築いてきた強みまで失いかねない。そこで松栄が重視するのが、PMI(統合プロセス)における「何を変えないか」という視点である。
「美容業界のM&Aでは、何かを変えること以上に、『これまで大切にしてきたものは変えません』と伝えることが重要です。買い手の考えを押し付けず、これまでの文化や方針を尊重する。それがスタッフの安心にもつながります」
だからこそ、買い手選びも条件面だけでは決めない。正社員を軸に組織をつくるのか、業務委託も活用するのか。人材をどう育て、どんな組織を目指すのか。経営に対する考え方まで確認したうえで候補を絞り、複数社とのトップ面談を重ねる。
「最大手だから、一番高い金額を提示したからという理由だけで決めるものではありません。経営者同士が話すなかで、当初の優先順位が変わることもあります。M&A後に何を実現したいのか、残るスタッフにどう説明できるのか。そこまで考えて相手を選ぶ必要があります」
こうした判断を支えるのが、過去のM&Aを成立後まで見てきた経験だ。松栄は成約後も買い手・売り手双方との関係を続け、統合後の組織で何が起きたのかを見てきた。どのような組み合わせが機能し、どこに摩擦が生じるのか。その蓄積を、企業価値の見極めや買い手選び、PMIに還元している。
緻密なマッチングの積み重ねによって、松栄は異業種間で互いの強みを引き出す統合も実現した。ファンド傘下で約150店舗にまで急成長した美容室チェーンの事例だ。培った規模とポテンシャルを最大限に活かすため、従来の美容業界の枠を超えた異業種への提案を展開。松栄が見出したのは、調剤薬局やドラッグストア事業を軸に多角化を推進する大手ヘルスケア企業とのシナジーだった。
「買い手が着目したのは、店舗数という量的データではなく、美容師と顧客が結ぶ信頼の密度です。スタイリストの提案力は、化粧品などの購買行動を自然に促すことができる。この対面資産が、地域密着と顧客第一を掲げる買い手企業の事業戦略と合致したのです」
美容室が培ってきた顧客との関係に、異業種がもつ商品やサービス、資本力を掛け合わせる。そこから新たな収益が生まれれば、スタイリストの待遇改善や採用力の向上にもつなげられる。松栄がM&Aの仕事に魅力を感じてきた理由も、こうした組み合わせによる価値創出にある。
「M&Aは、1と1を足して2にするのではなく、組み合わせ次第で3にも5にもなる。それを実感できる仕事は、ほかになかなかありません」
松栄が美容業界に惹かれる理由は、ビジネスとしての可能性だけではない。コロナ禍を経て客足がいち早く戻ったことから、美容室が地域の暮らしに欠かせない存在であることを改めて実感したという。さらに、競合同士でも勉強会を開き、業界全体をよくしようとする経営者たちの姿勢にも共感してきた。
「美容業界には、業界そのものをよくしたいという思いをもつ経営者が非常に多くいらっしゃいます。スタイリストの方々がもっと稼げるようになり、お客様にもより良いサービスを提供できる。そのためにM&Aが良い効果をもたらせたらと思っています」
松栄がM&A業界に転じた背景には、「地域社会に貢献したい・地方の経営者の役に立ちたい」という思いがあった。企業が培ってきた価値を見極め、それを生かせる相手と結びつけ、新たな成長につなげる。その積み重ねによって、美容業界そのものをよりよくしていく。松栄が目指すM&Aは、そのための手段でもある。
スピカコンサルティング
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まつえ・はるか◎スピカコンサルティング取締役。岐阜県出身。横浜国立大学工学部卒業後の2012年キーエンス入社。2016年日本M&Aセンターに入社し、ファンドカバレッジ事業部の設立に貢献。19年のM&Aコンサルティング共同創業を経て、23年にスピカコンサルティング参画。



