本連載「法学者が考える今の人権 不適切にはどう『ほどがある』のか」は日本と世界のニュースを「人権」の視点から読み解く時評コラムシリーズ。
第2回は、谷口氏が10月24日に施行される改正皇室典範について徹頭徹尾「憲法学的に」解説する。次に皇室ニュースに触れるときのヒントがあるかもしれない。
10月、改正皇室典範施行
10月24日、7月に成立した改正皇室典範が施行される。女性皇族の身分保持に手は打たれたが、条文を読むと「なぜ?」がいくつも残る。企業にジェンダー平等と人権尊重を数値で求めるこの国は、自らの国家の制度にどんな基準を当てているのか。
改正の大きな柱は2本。女性皇族が結婚後も皇族の身分を保てること。そして、1947年に皇籍を離れた旧11宮家の男系男子を皇族の養子に迎えられること。養子本人は皇位継承資格を持たないが、その男系男子の子孫には資格が生じる。
天皇制がある国で、その制度の担い手である皇族の減少に手が打たれたこと自体は、理解ができる。けれど条文を読むと、いくつもの「なぜ?」が残る。それは企業がいま問われる平等や人権の基準ともつながっている。
はじめに、表記について断っておきたい。本稿では、天皇を「天皇」と書き、「天皇陛下」とは書かない。憲法第1章の見出しは「天皇」であり、条文もすべて「天皇」と記されている。「天皇」という称号そのものが尊称の性格を帯びており、「陛下」は皇室典範第23条が定める敬称だ。重ねて「天皇陛下」と呼ぶ必要はない、というのが法学者としての私の立場である。同じ考えから、上皇、秋篠宮にも「さま」は付けない。敬意を欠くつもりはない。法の言葉で制度を読む以上、法の言葉で呼ぶ、ということだ。
そして、この呼び方の問題は、本稿のテーマとも無関係ではない。天皇や皇族は、個人の名前よりも、称号や宮号、敬称で呼ばれることのほうがはるかに多い。人が制度の名前で呼ばれるとき、その人の「個」はどこにあるのか。その問いは、以下の条文の読み解きにもつながっていく。
同じ家族なのに、妻だけが「名」の欄
今般の改正で、女性・女系天皇は認められず、結婚後も皇族にとどまる女性皇族の夫と子は一般国民のままだ。附則は、必要があると認められるときは「三十年ごとに見直しが行われるものとする」と定め、附帯決議も安定的な皇位継承策を「引き続き、検討する」とした。制度はまだ途中にある。
関連法は、結婚した女性皇族の離婚届の親権者欄を「氏名(内親王又は女王にあっては、名)」と書き分ける。夫と子は「氏名」、氏(名字)のない妻は「名」だけだ。
さらに結婚した女性皇族は、新たに住民基本台帳に載る一方で、選挙権も被選挙権も持たない。公職選挙法の附則が「戸籍法の適用を受けない者の選挙権及び被選挙権は、当分の間、停止する」と定めているからだ。1950年以来の「当分の間」である。憲法改正の国民投票の投票人名簿からも除かれる。これまでなら、結婚して皇籍を離れた女性は一人の有権者になった。これからは、夫と成人した子は投票できても、妻はできない。皇族とは「国民」なのか。個人の名前が制度に吸い込まれていく構造が、条文の行間から見えてくる。



