私が通うソウルサイクル(SoulCycle)のインストラクターであるデビッドは、クラスでよくこう口にする。その言葉がずっと心に残っている。「基準を満たすだけでなく、基準を引き上げよ」。それを聞くたびに、コービー・ブライアントがマンバ・メンタリティと呼び、生涯を通じて実践したものを思い起こす。昨日の自分よりも優れた存在になることを、ひたむきに追求する姿勢である。
マンバ・メンタリティは、単に勝つことではなかった。それは準備、規律、好奇心、レジリエンス、そして世間から成功者と見なされた後もなお、自分を磨き続ける意思のことだった。隣にいる相手と競うことだけではない。昨日の自分に限界を決められることを拒むことだった。それこそが、基準を引き上げるという意味である。
私たちは期待に応えるよう教えられている
人生の多くは、誰かがつくった基準を満たすことを中心に組み立てられている。資格要件を満たす、締め切りを守る、目標を達成する、期待に応える、標準を満たす。
期待に応えること自体に問題はない。それは能力、一貫性、説明責任を示すものだからだ。しかし基準を満たすということは、すでに存在する境界の内側で成功することを意味する。一方、基準を引き上げるとは、その境界の先に何があり得るかを想像することだ。
それは、自分の仕事をこなすことと、その仕事を再定義することの違いである。成功を収めることと、意義を生み出すことの違いである。リーダーの地位に就くことと、リーダーとしてのレガシーを残すことの違いである。基準を満たすことは成果に関わる。基準を引き上げることは可能性に関わる。
まず自分自身の基準を引き上げる
私たちは往々にして、基準を引き上げるとは他者への期待値を高めることだと考えがちだ。だが真のリーダーシップは、自分自身に対する期待を引き上げることから始まる。
- できる限り十分に準備したか。
- 十分に注意深く耳を傾けたか。
- もはや機能していないものに異を唱える勇気を持てたか。
- 周囲の人々をより強くしたか。
- 目の前のわかりやすい答えで満足したのか、それともより良い答えを探し続けたのか。
マンバ・メンタリティは、内なる基準の上に築かれていた。コービーは、練習し、学び、修正し、向上するよう誰かに言われる必要がなかった。彼の基準は、誰かが見ているかどうかに左右されなかった。
このような規律が重要なのは、外部からの評価は一時的なものだからだ。拍手はやみ、肩書は変わり、記録は破られる。しかし、私たちが築く習慣と、自ら定める基準が、次に何を生み出せるかを決める。潜在能力は与えられるものだが、伝説となるかどうかはそれをどう生かすかにかかっている。
基準を引き上げることは完璧を意味しない
基準を引き上げることは、決して失敗しないという意味ではない。むしろ、失敗との向き合い方を変えることを求められる。目標が単に期待に応えることなら、失敗は自分が十分ではなかった証拠のように感じられるかもしれない。だが目標が成長であるなら、失敗は情報になる。どこを練習すべきか、何を変えるべきか、どうすればより強く戻れるかを示してくれる。
基準を引き上げる人々は、必ずしもすべてを正しく行う人々ではない。彼らは、何がうまくいかなかったのかを率直に見つめることをいとわない人々だ。挫折を自分のアイデンティティにはしない。それを知見へと変え、学び、修正し、もう一度挑む。レジリエンスとは、傷つかなかったふりをすることではない。自分を傷つけたものに、その後の展開を決めさせないと決意することである。
リーダーシップはすべての人の基準を動かすべきだ
基準を引き上げることには、リーダーシップにおいて極めて重要なもう一つの側面がある。それは、自分自身の成果を高めることだけにとどまってはならないという点だ。優れたリーダーは、他者に開かれた可能性を広げることで基準を引き上げる。有能な人材を排除する資格要件に疑問を投げかける。閉ざされたネットワークを、より広いアクセスへと置き換える。別の時代に設計された職場のルールに異を唱える。彼らは単に梯子を上るのではない。より多くの人がその梯子に乗れる機会を持てるようにし、古い構造がもはや機能しないときには、それを再設計することもいとわない。
より高い基準が、新たな障壁になってはならない。それは、リーダーシップが何を成し遂げられるかについて、より野心的な基準を示すものであるべきだ。私たちは、より強い事業と、より強い人々を生み出しているだろうか。財務的リターンと意味あるインパクトの両方を生み出しているだろうか。イノベーションを、古いシステムを補強するために使っているのか、それともより良いシステムを築くために使っているのか。
AIを含むテクノロジーは、私たちがより速く働き、より多くの情報を分析し、能力を高める助けとなる。だが、能力が高まれば責任も大きくなる。私たちはこれらのツールを、昨日の期待により効率的に応えるためだけに使うのだろうか。それとも、仕事、リーダーシップ、アクセス、インパクトについて、より高い基準を想像するために使うのだろうか。未来は、テクノロジーに何ができるかだけで決まるのではない。テクノロジーが何をすべきかについて、私たちがどのような基準を定めるかによって決まるのである。
基準を動かすのは私たちである
私たちは時に、基準を固定されたもの、先人たちから手渡されたもののように扱う。しかし、あらゆる基準は誰かによってつくられたものであり、あらゆるルールは問い直すことができ、あらゆる限界は再考できる。
時代遅れの思い込みに異を唱えるたび、より良い前進の道を見つけるたび、挫折の後も進み続けるたび、私たちは基準を引き上げている。扉を開き、人を紹介し、学んだことを共有し、これまで道筋が見えなかった誰かのために可能性をつくるときにも、私たちは基準を引き上げている。
あなたの肩書は、いつか別の誰かのものになる。あなたのオフィスも、いつか別の誰かのものになる。あなたの最大の功績でさえ、やがて超えられるかもしれない。だが、あなたが定めた基準、あなたが強くした人々、あなたが生み出した可能性は、あなたがその場を去った後も続いていく。だから、基準を満たすだけでなく、基準を引き上げよ。それがマンバ・メンタリティであり、リーダーシップが伝説となる道なのである。



