リーダーシップ

2026.10.04 19:26

「成績」の落とし穴:AやBの評価だけでは職場での即戦力にならない

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ミシガン大学が一部の新入生についてアルファベット評価から離れるという最近の決定は、聞き慣れた論調を伴う公の議論を引き起こした。同大学は、この措置はプレッシャーを軽減し、学生が大学生活に適応する余地を与えるためのものだとしている。一方で批判派は、期待水準を下げ、学生を失敗の可能性から守ろうとする新たな例にすぎないと主張している。

その懸念は理解できる。大学生を含め、人は困難に直面したときに最も成長する。若者には率直なフィードバックが必要だ。家庭、雇用主、地域社会に対しても、学生が何を知り、何ができるのかを明確に示す責任がある。しかし公の議論は、問われるべきより大きな問いをあまりに早く通り過ぎている。そもそもアルファベットの成績は、有用な情報を与えているのだろうか。

この機会に、進歩をどう測り、学びをどう伝え、どう認定し、学生の成功をより意味ある形で支えるのかを考え直すべきである。1つの文字で示される成績は、明らかにするのと同じくらい多くのことを覆い隠す。GPAは、テストの時期、追加課題、授業参加、宿題、提出遅れに関する方針、時には行動までも反映する。こうした交絡し、競合する変数が入り込むことで、実際にどのような学習が起きたのかを正確に理解しにくくなる。学生がBを取ったとして、それは実際に何を意味するのか。どの内容やスキルを習得したのか。知識の抜けはどこにあるのか。学んだことを統合し、応用できるのか。

社会全体として、私たちは学生の準備状況をどう最適に評価するかという問いに何十年も取り組んできた。1980年代の報告書『危機に立つ国家(A Nation at Risk)』から、2000年代の『落ちこぼれ防止法(No Child Left Behind)』の時代を経てもなお、数十年後の今も、深刻なエンゲージメントと学力の格差に直面している。私たちが本当に問うべきなのは、現在の尺度が、学生が何を知り、何ができ、次に進む準備がどれほど整っているのかを示しているのかということだ。

レベッカ・ウィンスロップとジェニー・アンダーソンが『アトランティック(The Atlantic)』誌に寄稿した記事は、重要でありながら関連する指摘をしている。学ぶ意欲は、失敗への恐れやAを取れるという期待によって生まれるものではない。学生が主体性を持ち、学んでいることに目的を見いだし、自分の取り組みが学校の外の生活とどうつながるのかを理解したときに育つ。

従来の成績や準備度の尺度から離れることに対して最もよく聞かれる反論の1つは、点数や罰則、失敗の脅威がなければ、学生には努力する理由がなくなるというものだ。しかしこの主張は、学習に対する考え方のより深い欠陥を示している。従順さや成績を、学びと混同しているのだ。

ウィンスロップとアンダーソンは、従来の尺度では問題なくやっているように見える学生たちを描いている。GPAは許容範囲内で、望む成績を得るために十分な課題を提出する。彼らは「乗客モード」でシステムを切り抜ける方法を学んでいるが、自分の学びに主体的に関与しているわけではない。より有用な仕組みとは、学習への期待を最初から明確にするものだ。透明性のある目標に向けて進歩を示す機会を複数与えるものでもある。早い段階でつまずいた学生に恒久的な不利益を与えるのではなく、最も新しい学習の証拠を重視する仕組みである。

これこそが、コンピテンシーベース(能力重視)の学習が約束するものだ。物事を簡単にすることではなく、期待をより明確にし、学生が現在どこにいて、何を達成しようとしているのかを理解できるようにすることだ。コンピテンシーベースの段階的な評価に基づいて設計された仕組みは、学習者が成長とはどのようなものか、次に何をすべきかを理解する助けになる。最も重要なのは、こうした学習者が先へ進む前に、自分が何を知り、何ができ、その学びを現実の場面でどう応用できるかを示すことで概念を習得する点である。そのためには、的確な評価と高い期待の双方が欠かせない。

ビジネスの現場に置き換えると、これは非常になじみ深い仕組みだ。上司は入社後数週間の従業員に一度きりの業績評価を行い、その点数を最終評価として扱うわけではない。従業員はフィードバックを受け、実践を重ね、改善していく。明確な基準を満たすことが求められる。成果が必要な水準に達していなければ、改善に向けて指導を受けるか、追加の研修を受ける。時間がたっても期待に達しなければ、それにも結果が伴う。これは甘やかしではない。高い成果を育て、評価し、伸ばすための、より真摯なアプローチなのである。

あまりにも長い間、私たちは学生が大学、キャリア、人生への準備ができていないにもかかわらず、準備ができていると思って高校を卒業していく状況を容認してきた。従来の成績が学生の能力を示す指標としてなじみ深いことに安住してきたが、それは準備度や将来の成功を示す不完全な指標であるにもかかわらずだ。

卒業率は上昇を続けているが、高校卒業後に補習的な授業を必要とする学生の数は高止まりしている。社会で活躍するために不可欠な持続的スキル(ポータブルスキル)を身につけないまま職場に入ってくる学生が後を絶たないと嘆く雇用主もいる。この断絶には立ち止まって考えるべきだ。成績は、学生が学校をうまく切り抜ける方法を学んだかどうかを示すかもしれない。しかし、その学生に好奇心があり、適応力があり、自律的に学べるかどうかを常に示すわけではない。

成績評価に関する従来の方法を大きく変えれば、不安が生じ、抵抗に遭うだろう。しかし、不安は対話を避ける理由にはならない。むしろミシガン大学の決定は、成績が何をし、何をしないのか、そして不安定で不確実な未来で成功するために必要なスキルと今日の学習者との断絶を埋めるために何をすべきかについて、より率直に話す機会を与えている。

私にとって目標は、学生を失敗から守ることではない。その失敗を役立つものにすることだ。Fは何かがうまくいかなかったことを示すかもしれないが、学生が改善するために次に何をすべきかを示すことはほとんどない。教育のあらゆる段階で、学習者は改善とレジリエンス(立ち直る力)がどのようなものかを理解すべきである。

説明責任を重んじながら、現在の尺度が真実を示しているのかを問うことはできる。それは失敗を隠すことでも、基準を下げることでもない。より正確で、透明性が高く、有用な仕組みをつくることなのである。

(forbes.com 原文)

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