リーダーがよく口にする言葉がある。「それは私たちらしくない」
従業員が誰かに不当な扱いをしたとき、コミュニケーションが破綻したとき、あるいはチームメンバーが組織の掲げる価値観に真っ向から反する行動をとったときに、私はこの言葉を耳にしてきた。しかし、自分たちが何者であるかを言葉で語ることよりも、日頃から何を許容しているかのほうが、はるかに重要であると私は確信するようになった。
文化とは、壁に掲げられたミッションステートメントではない。ウェブサイトに並ぶ価値観の一覧でも、オリエンテーションで繰り返される言葉でもない。文化とは、リーダーが見ていないと誰もが思っているごく普通の火曜日に起きていることである。
それは、イライラしているときに互いにどう声を掛け合うか。ミスをしたときに自ら責任を取るかどうか。従業員が限界に達しているとき、気難しい顧客に対応するとき、あるいは「正しいこと」を実行するのが面倒になったときに、何が起きるか。そしておそらく最も重要なのは、リーダーが何に対処し、何を見過ごすことを選ぶか——それが文化なのだ。
リーダーは「何が重要か」を教える
リーダーシップとは、期待値を設定することだとよく言われる。しかし、私はそれ以上のものだと考えている。リーダーシップとは、どの期待値が「本物」であるかを周囲に教えることなのだ。
もし私たちが「敬意を払うことが重要だ」と言いながら、最も優秀な成績を収めている社員の不遜な態度を許容していれば、従業員はどちらのメッセージを信じるべきかを察する。また、「人間第一」と言いながら、社員を犠牲にして得られた成果を常に評価していれば、それも従業員に見透かされる。一方で、「責任を果たすことが重要だ」と言い、リーダー自身がそれを実践すれば、その教訓はどんな社内規定よりも深く浸透する。人々は、リーダーが何を評価し、何を正し、何を見過ごし、どのような手本を示しているかを注視している。それが文化になるのだ。
リーダーは時に、問題を起こした人物が有能で生産性が高く、代わりのきかない存在であるという理由で、その問題行動への対処を避けることがある。私たちは「これは些細な問題だ」「過剰反応したくない」「自然に解決するだろう」と自分に言い聞かせる。しかしその間も、他の全員がその様子を見ているのだ。
高い成果を上げる人が、繰り返し不適切な振る舞いをしても何の結果も伴わないとき、組織はそれに気づく。誰かが成果を出すからという理由で無礼が許されるとき、掲げられた価値観が不都合になった瞬間に消えるとき、組織は何かを学ぶ。リーダーが言ったことからではなく、リーダーが許したことからだ。例外の一つひとつが、許容される行動の境界線を静かに引き直していく。
業績と人格は切り離せない
組織が犯す最大の過ちの一つは、業績と行動を別々の問題として扱うことだ。しかし、いくら数字の面で抜群の成果を上げていても、組織に損害を与えることはある。同僚の足を引っ張り、周囲に恐怖を植え付け、説明責任を果たそうとしない人物は、スプレッドシート上では成功しているように見えても、そこには決して表れないコストを生み出している。
そのコストは、優秀な社員の離職、本音で話すことへの躊躇、コラボレーションの悪化、そしてリーダーが対立の調整に費やす時間の増大といった形で、別の場所に現れる。やがて組織は、容認すべきではなかった行動の代償を払うことになるのだ。
結果そのものと同じくらい、その結果がどのように達成されたかが重要なのだ。
思いやりと説明責任は両立する
人を中心に据えたリーダーシップについての誤解の一つは、文化を守るとは、全員を心地よい状態に保つことだというものだ。そうではない。リーダーが持つことのできる最も敬意ある対話の中には、最も難しく、居心地の悪いものもある。
説明責任に屈辱は必要ない。そして思いやりは、基準を下げることを意味しない。相手の尊厳を保ちながら、その行動は受け入れられないと伝えることはできる。人格を攻撃せずに、低いパフォーマンスに向き合うことはできる。事情に耳を傾けつつ、その事情が恒久的な言い訳になることを許さないこともできる。
実際、必要な対話を避けることは、思いやりではない場合が多い。それは単に、ある人の行動の結果を周囲の人々に転嫁しているだけである。強い文化は寛容さの余地を持つが、同時に期待値を明確にする。
文化は危機の前に築かれる
組織は、何か問題が起きたときに自らの文化の強さを知ることが多い。しかし文化は危機の最中につくられるのではない。危機によって明らかになるのだ。
誰かが懸念を表明するために必要な信頼は、その何カ月も前に築かれた、あるいは損なわれたものである。ミスを認める意欲は、前回誰かがミスを認めたときに何が起きたかによって形づくられる。同僚を助けようとする本能は、誰かが緊急に助けを必要とするずっと前に起きた、何百もの小さなやり取りから生まれる。
文化は、問題が起きたときに単に修復できるものではない。毎日守らなければならないものだ。
私が見てきた最も強い文化のいくつかは、劇的な施策によってではなく、一貫性によって築かれていた。リーダーが自分の誤りを認めて謝る。実際に仕事をした人が評価される。難しい対話が、非公開で敬意をもって行われる。ミスが誰かを辱める機会ではなく、改善の機会になる。強い肩書きを持たない人が、肩書きを持つ人と同じ敬意をもって扱われる。
これらの瞬間は、個別に見れば些細なことに思えるかもしれない。しかしそれらが積み重なることで、自分がどのような組織に属しているのかを人々に示すことになるのだ。
リーダーが自問すべき3つの問い
文化について考えるとき、私はいつも3つの問いに立ち返る。
1. 私たちは何を評価しているか?
何が実際に評価され、昇進につながり、影響力をもたらすかを、従業員はすぐに察知する。
2. 私たちは何を許容しているか?
リーダーが繰り返し見過ごしている行動は、やがて組織の非公式なルールになる。
3. 私たちはどのような手本を示しているか?
従業員は、社員ハンドブックに書かれていた内容よりも、プレッシャーにさらされたリーダーがどのように行動したかをはるかに長く覚えているものだ。
もし、これらの問いへの答えが、組織が掲げる価値観と一致していない場合、問題は必ずしも価値観そのものにあるわけではない。その価値観を取り巻くリーダーたちの行動に問題があるのかもしれない。
基準は私たち自身から始まる
リーダーとして文化について語るとき、外に目を向けるのは簡単だ。従業員は何をしているのか。なぜ彼らはコミュニケーションを取らないのか。なぜ主体性を持たないのか。なぜチームは私たちが期待するように振る舞わないのか。
時には、もっと有益な問いは、はるかに身近なところにある。私たちは自分たちの行動、意思決定、そして声を上げることが不快だったためにそうしなかった瞬間を通じて、何が許されるのだと彼らに教えてきたのか。
結局のところ、組織の文化とは、リーダーが何を信じているかだけではない。何を守る覚悟があるかである。



