ネイサン・フィールダーの最新プロジェクト『You Can See Everything』が話題を呼んでいる。エリザベス・ホームズをテーマにしたその予告編に登場する、あるセリフはすでに象徴的なものとなっている。
「なぜ私があなたを欺く必要があるのか?」
まさにその問いである。しかし、ホームズの事例が示しているのは、欺瞞というものが、私たちが認めたがらないほど複雑な形でリーダーシップと結びついているという事実である。
これは、どれほど知的好奇心の強いリーダーやリーダーシップ研究者にとってもタブーとされるテーマだ。しかし、職場における「オーセンティシティ(自分らしさ、本物であること)」や「誠実さ」の定義を再考せざるを得ないほどの証拠が存在する。
さらに悪いことに、完全に誠実であることが、時としてリーダーとしての資質を下げることになるとしたらどうだろうか。
ここでは、嘘、妄想、そしてリーダーシップについて知っておくべき3つのことと、有益な「確信」と危険な「欺瞞」の境界線が実際にどこにあるのかを解説する。
「必要な妄想」の理論
人を率いることは困難であり、何もないところから起業して意味のあるレベルまで成長させることは、大半の人が挑戦すらしないタスクである。
統計データがその理由を物語っている。
米国の新設事業所のうち、最初の3年間を生き残れるのは約3分の2で、5年まで持ち堪えられるのは約半分にすぎない。企業が成功する道よりも失敗する道のほうがはるかに多く、リーダーが目標に向かって突き進む中で挫折する要因はさらに多い。
一歩でも足を踏み外せば奈落の底に落ちるような綱渡りをするには、下から見上げれば完全に「妄想」としか思えないほどの自信が必要となる。
それには理由があるのかもしれない。
ドミニク・ジョンソンとジェームズ・ファウラーは、学術誌『ネイチャー(Nature)』に掲載された共同研究「過信の進化(The Evolution of Overconfidence)」でこの謎を探究した。彼らの数理モデルによれば、特定の状況下、特に競争から得られる潜在的なリターンがコストに対して十分に大きい場合、過信は客観的で偏りのない判断を凌駕することが示された。
言い換えれば、自分自身や自分の勝率を完全に正確に把握することが、必ずしもアドバンテージになるとは限らないのだ。
ダニエル・カーネマンとダン・ロヴァロは、ビジネスの観点からこの問題に関連する「成功への妄想」について取り組んだ。リーダーは日常的に障害を過小評価し、自らが結果をコントロールできる能力を誇張する傾向がある。これは壊滅的な決定を招くこともあるが、一方で楽観主義は、通常の成功確率を見れば尻込みしてしまうような冒険に人々が挑む理由を説明するのにも役立つ。
イーロン・マスクは、火星を目指すのが理にかなった選択であると誰かが太鼓判を押してくれるのを待たなかった。ビル・ゲイツがマイクロソフトを創業したのも、大学中退者がコンピューティングの未来を塗り替えられるという客観的な証拠があったからではない。彼らは、まだ存在しない未来を十分に信じていたからこそ、それを創造するための挑戦を始めることができたのだ。
エリザベス・ホームズは、たとえ最終的に現実が追いつかなかったとしても、純粋な度胸だけでどれほど遠くまで行けるかを示す、非常に興味深い例である。
自信がリーダーシップの特性として知られているのには理由がある。ホームズは投資家、従業員、そして著名な取締役たちを説得し、セラノスに対する自身のビジョンに従わせた。しかし、彼女が説明した会社と、実際に提供できた技術は、やがて完全にかけ離れたものになっていった。
過信が綱渡りの第一歩を踏み出させるためにどれほど有益な役割を果たそうとも、目的地に対する強い思い込みが、足元の架け橋を偽造する免罪符と化してしまったときに何が起こるかを、ホームズの事例は私たちに突きつけている。
そして、事態はさらに暗い領域へと進む。
内なる闇
通常は望ましくないとされる性格特性が、実際には人々がリーダーへと這い上がるのを助けているのではないか、という問いに関する研究には長い歴史がある。
「ナルシシズム(自己愛)」は、その中で最も明確な答えの一つを示している。
エミリー・グリハルヴァが主導したナルシシズムとリーダーシップに関する大規模なメタ分析は、企業社会でキャリアを築いてきた人なら誰でも思い当たるような事実を明らかにしている。
それは、ナルシシズムが「リーダーとしての台頭」と正の相関関係にあるということだ。
しかし、そこには重要なねじれがある。それは「リーダーシップの実効性」とは正の相関関係になかったという点であり、この違いはきわめて重要である。
「リーダーとしての台頭」とは、誰がリーダーとみなされ、リーダーの地位に就くかを示す。一方で、「リーダーとしての実効性」とは、その地位に就いた後に実際にどれほど優れたパフォーマンスを発揮するかを問う。リーダーにふさわしい人物に見せるための特性と、実際に優れたリーダーシップを発揮するための特性は、必ずしも同じではないのだ。
実際、研究チームは、ナルシシストが自分自身をリーダーとしてより好意的に評価していた一方で、上司、同僚、部下からの評価では、ナルシシズムと実効性との間に対応する関係が認められなかったことを発見した。
サイコパシーに関する研究は、状況をさらに複雑にしている。カレン・ランデイ、ピーター・ハームズ、マーカス・クレデによるサイコパシーとリーダーシップに関するメタ分析では、サイコパス的特性が人々を確実にトップへと押し上げ、就任後に優れたリーダーに仕立て上げるというような、単純なストーリーは存在しないことが分かった。
これは、私たちがこれまでに学んできたことと驚くほど合致する。
リーダーの地位に就くには、自信、失敗に身をさらす覚悟、困難な意思決定、そして他者が躊躇する中で自ら進んで名乗り出る意欲が求められる。
そうしたコストを許容しやすくする特性の一部は、その人がリーダーとして台頭する可能性を高める要因にもなり得る。
しかし、台頭することは実効性があることとは異なる。
自分がリーダーにふさわしいと周囲を納得させる能力と、実際に主導権を握った後にうまく機能することとは別物なのだ。
ここで3つ目の知見、すなわち、透明性を尊ぶと主張しながらも、ありのままの真実を語る者を時に罰する世界において、いかにして「オーセンティック(本物)」な自分を維持すべきかという、はるかに有益な問いへと行き着く。
リーダーがつく嘘の分類学
エリザベス・ホームズは究極の反面教師である。なぜなら、自信や楽観主義、自己信頼がリーダーにいかに有用な特性をもたらすとしても、セラノスにおける欺瞞は一線を越えて「詐欺」となったからだ。
リーダーの役割は、これらのカテゴリーを混同しないようにすることだ。
その手がかりとして有益なのが、エマ・レヴィンとモーリス・シュヴァイツァーによる「向社会的な嘘(prosocial lies)」に関する研究である。
4つの研究を通じて、彼らは驚くべき事実を発見した。他者のためを思ってつく嘘は、実際にある特定の種類の「信頼」を高める可能性があるということだ。
彼らはこれを「向社会的な嘘」と呼んでいる。これは、他者に利益をもたらす意図で語られる虚偽の声明のことだ。
そしてここで、この区別がリーダーにとって有用になる。
向社会的な嘘に接した被験者は、より高い「慈愛に基づく信頼(benevolence-based trust)」を示した。彼らは、目の前の相手が自分たちの利益を一番に考えてくれていると信じる傾向が強かったのだ。この種の信頼においては、誠実さよりも「意図」のほうが重要になり得ることが、研究によって明らかになった。
しかし、おそらくすでに予想しているであろう落とし穴があった。
向社会的な嘘は、同時に「誠実さに基づく信頼(integrity-based trust)」、すなわち相手が真実を語ってくれるという信頼を損なっていた。
このため、リーダーにとって欺瞞が許される安全な領域は、「向社会的な嘘」という言葉が最初に与える印象よりもはるかに狭いものとなる。
リーダーシップを発揮する上で、客観的な証拠を超えた楽観主義が必要とされる瞬間はある。確証など誰にも持てない状況下で、「あなたならできる」と伝えることが、相手が一歩を踏み出すために不可欠な原動力となることもある。また、冷酷な正確さよりも、優しさを優先すべき罪のない日常的な嘘(white lies)も存在する。
知っておくべきなのは、「目的」が重要であり、「何が隠されているのか」も同じく重要だということだ。
他者を不必要な傷つきから守るための嘘は、自らの地位や企業価値、あるいは評判を守るための嘘とは根本的に異なる。証拠が示す以上に未来を強く信じることと、その未来がすでに到来したかのように証拠を捏造することは別物なのだ。
それこそが、ホームズが踏み越えてしまった境界線だった。
では、嘘はリーダーシップの必須条件なのだろうか。
これまでの証拠が示す答えは、極端な誠実さや冷笑的な欺瞞のどちらかで割り切れるほど単純ではない。リーダーシップは時に、過信や妄想、現実を先取りするような無限の楽観主義、さらには慎重に限定された向社会的な欺瞞から恩恵を受けることがある。しかし、そのどれもが、他者のために「現実を捏造する」免許をリーダーに与えるものではない。
真実を曲げることが最も安全であるのは、その利益が話し手ではなく、それを聞く側にある場合のみだ。そしてその領域においてさえ、レヴィンとシュヴァイツァーの研究は、慎重に行動すべき理由を突きつけている。一つの信頼を買い取るために語られるあらゆる善意の嘘は、別の信頼を焼き尽くすリスクを孕んでいるのだ。
その深淵をあまりに長く覗き込みすぎると、やがて自分がどちらの側の欺瞞からスタートしたのかすら、分からなくなってしまうかもしれない。



