現代の暮らしにおいては、ほんのわずかな空き時間でさえチャンスとして捉えられている。列に並んでいる間にメールを確認し、通勤中にポッドキャストを聴き、昼休みには習慣的にメッセージの返信をする。何もしないでいることは、いつの間にか罪悪感を覚えるようなこと、つまり怠惰や向上心の欠如を示すものになってしまった。
しかし、とくに優れた思考力を持つ人の中には、他者から見ればまったく役に立たないように見える習慣を持つ人がいる。窓の外をぼんやり眺める、間の悪いタイミングで重要な仕事から離れる、1日のかなりの時間を何かで埋めようとせずそのまま過ごす、などだ。
これは怠けているのではない。脳が本来備えている機能をよく理解していることを意味する。つまり、考えるためには空っぽの時間が必要であり、知性は懸命に注意力を働かせるだけでなく、注意をどのように休ませるかにも大きく左右されるのだ。この記事では、頭脳が本来あるべき状態で機能していることを示す、「無駄」な習慣を2つ紹介したい。
習慣1:「静寂のひととき」を意識的につくる
静寂のひとときとは、1日のあちこちに点在する、何にも縛られないちょっとした時間のことだ。会議前にベンチで過ごす5分や、電車に乗っている間、端末の画面を見るのではなく、窓の外を眺めて過ごす時間など。タスクとタスクの合間のわずかな小休止でも構わない。
コーヒーを注文して待つ2人を想像してみよう。1人は数秒もしないうちにスマートフォンを取り出し、ニュースの見出しをスクロールし、メッセージに返信し、通知に目を通す。もう1人はただそこに立ち、周囲を眺めながら思考を漂わせている。前者は効率的に、そして後者は何もしていないように見える。だがこの2人のうち、脳に休息の機会を与えているのは1人だけだ。
多くの人は、こうした手持ち無沙汰の時間を無意識に何かで埋めてしまう。そうした時間は退屈なものだと予想しているからだ。だが学術誌『Journal of Experimental Psychology: General』に2022年に掲載された研究では、単に自分の思考と向き合うことが、どれほど楽しく没頭できるものかを、人は一貫して過小評価していることが明らかになった。私たちは、おそらく予想以上に楽しめるはずの沈黙から逃れるために、ついスマートフォンに手を伸ばしてしまう。頭脳明晰な人たちはその静寂に耐え、さらには静寂を求めることさえある。それは考えるべきことが少ないからではなく、静寂の中でこそ思考が整理されると感じているからだ。



