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2026.10.04 15:00

伝統文化の継承者とともに目指す未来|近衞忠大×小山薫堂スペシャル対談(後編)

伝統文化の継承者とともに目指す未来放送作家・脚本家の小山薫堂が経営する会員制ビストロ「blank」に、近衞家33代当主 /curioswitch代表取締役の近衞忠大さんが訪れました。スペシャル対談第24回(後編)。

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小山薫堂(以下、小山) :現在、代表取締役を務めるcurioswi tchでは、どのようなお仕事をされているのですか。

近衞忠大(以下、近衞) :主に企業・自治体のブランディングや映像・解説動画制作、イベントの企画運営を行っています。思いとしては日本の伝統文化もサポートしたく、並行してNPO法人七五も設立しました。

小山:ナナゴ?

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近衞:和歌の音数、五七五七七からの命名です。伝統文化の継承者の方々にご賛同いただき、例えば小笠原清基先生および小笠原流一門をお招きして、古の武家に伝わる美しい所作、弓術や甲冑を使った武術などを体験できる「武士の学校」、和歌の詠進、香道、投扇興などに挑戦する「わかまつり」などを定期的に開催しています。

小山:素敵ですね。起業のきっかけは「世界の中の日本」を強く意識するようになったことだそうですが、そもそも「日本とは何ぞや?」という問いに、近衞さんならどのようにお答えされますか。

近衞:本来の「日本」というのは、明治以前の段階である程度確立していました。それが明治維新によって大きく変化し、過去と現在に分かれ、戦争によってさらに断裂してしまった。いみじくも歴史家の磯田道史さんが「今の日本人は基本的に全員帰国子女。日本に住んだことのない日系人だと思ったほうがいい」とおっしゃっていたのですが、実際、学校教育の音楽や美術は西洋由来ですよね。日本古来の音楽や美術は教われない。もちろん、「本来の日本」を脈々と受け継いでいる人、守っている人も少なからずいるけれど、一般の国民が彼らを理解できなくなっている。

小山:では、明治維新以前の日本は、わかりやすく言うとどんな国だったと思いますか。平均化されておらず、それぞれの階層にそれぞれの文化が存在していた?

近衞:そうですね。そもそも昔は「日本」というコンセプトがなかった。それぞれの藩が主体で、幕末の1867年に開催された「パリ万国博覧会」も3団体で参加している。

小山:徳川幕府と薩摩藩と佐賀藩ですね。

近衞:ええ。ただ、互いの話す言葉は通じずとも、例えば古今和歌集などをベースにした歌があり、そこから派生した能などの芸能もあって、つまりルーツは一緒だから、互いを理解しあえたわけです。伝統文化というものは一気通貫したフォーマットが存在する。現代の日本人の多くがそのフォーマットを知らずにいることが、ゆゆしき問題だと思います。

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写真=金 洋秀

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