5年前、私はスタートアップ段階の企業に加わり、リーダーシップ層として最初に採用したのは「ディレクター・オブ・カルチャー(組織文化担当ディレクター)」だった。マーケティング、営業、人事、オペレーションといった職種もまだ必要であり、それらを担当する人員を採用できる規模になるまでは、その大半を私自身が兼務していた。多くの人から、採用する順番が逆だと言われた。
だが、その順番こそが重要だったのだ。組織文化(カルチャー)とは、実務が軌道に乗ってから後から導入するものではない。実務がどのように行われるかを決定づけるものなのだ。他の職務はすべて、私がしばらくの間カバーできるものだった。営業も、オペレーション上の問題解決も、採用プロセスの進行も、私にできた。しかし、設立1年目に企業が形成した習慣を、後から遡って解消することは不可能だった。そうした習慣は、瞬く間に定着してしまうからだ。
多くのリーダーの採用に対する考え方は、そうではない。ギャラップとStand Togetherが米国の労働者4475人を対象に実施した全国代表性のある調査では、採用責任を持つリーダーとマネージャーのうち、組織の使命に対する強い個人的な目的意識と情熱を、新入社員の成功にとって非常に重要だと評価した人はわずか30%だった。一方、コミュニケーション能力について同じように答えた人は77%に上った。しかし同じ調査では、強い目的意識を持つ従業員は、目的意識が低い従業員に比べてエンゲージメントが5.6倍高いことも明らかになっている。
こうした要素は、福利厚生(特典)から生まれるものではない。卓球台や無料のランチを否定するつもりはないが、スナックコーナーがあるからという理由で自分の職場に誇りを持つ人はほとんどいない。私の経験上、誇りとは、価値のある物事の一部であること、尊敬できる人々と共に働くこと、そして働きながら自身も成長していくことから生まれるものだ。自らが構築する環境は、それを可能にするか、あるいはその妨げになるかのどちらかである。
組織文化が損なわれる前に問題に対処する
組織文化を統括する役割は、イベントを企画することではない。優秀な人材が、同じく優秀な人材と共に働く権利を守ることにある。
かつて自分が所属し、「このチームで勝ちたい」と思ったチームを思い浮かべてほしい。私と同じように、そのチームが素晴らしかった理由は、周囲の人々が同じ目標を追い求め、そこにいることで自分自身を高めてくれたからではないだろうか。それこそが、多くの人が職場に求めているものであり、同時に驚くほど簡単に失われかねないものでもある。
許容されたわずかな問題行動が、周囲の「許容範囲」の基準を変えてしまう。誰かが約束を破ったり、他人に不当な接し方をしたり、基準以下の仕事を繰り返しているにもかかわらず、何の対処もなされないとき、周囲はそれに気づく。チームが「期待値を下げよう」と話し合って決める会議など存在しない。それは、放置された個々の瞬間を通じて起こるものであり、自らに高い基準を課している人ほどそれに気づく。許容された事柄が、そのまま組織文化になっていくのだ。
だからこそ、組織文化を守るということは、往々にして地味な作業に行き着く。それは、問題が起きたその場で指摘することだ。多くのリーダーは、話し合いが必要だと分かっていながら、より良いタイミングやさらなる証拠、あるいは次の評価サイクルを待ってしまう。人生の他の場面をそのような方法で対処することを想像してみてほしい。子どもがリビングルームを散らかしたとき、その場で注意する代わりに、親が1週間待ってから正式な話し合いの場を設けるだろうか。馬鹿げた話に聞こえるが、組織ではこれと似たようなことが絶えず行われている。しかし、先延ばしにすることは、話し合いを穏やかなものにはしない。私の経験上、問題をより大きくし、相手の耳に届きにくくするだけだ。
この種の話し合いに、複雑なプロセスは不要だ。問題が発生したタイミングの近くで対処し、相手の存在を尊重していることを伝え、何を変えるべきかを具体的に示すことだ。相手の成長を心から願うのであれば、伝えるべきことを伝えるべきである。沈黙もまたメッセージであり、通常そのメッセージは「基準は最初から妥協可能なものだった」と伝えてしまうことになる。
双方向のコミュニケーションを維持する
私が過小評価していたのは、強固な組織文化を築くためには、この種のコミュニケーションが双方向で機能しなければならないという点だ。
数年前、私のチームが四半期目標を達成するために策定した戦略を説明してくれた。それは優れた計画だったが、かつて私自身が実行したアプローチに似たものでもあった。私は、さらに改善できると思う点を指摘し、そちらの方向性で進めるよう求めた。その後、これまでに2つの会社で共に働いたことのあるメンバーが私を脇に呼び止め、こう言った。私のやり方の方が多少良い数字を出せるかもしれないが、チームが懸命に築き上げたものを覆すことは、得られるものよりも失うものの方が大きいかもしれない、と。
私の最初の反応は、自分の決定を擁護することだった。自分の進め方ではなく、戦略の質について議論したかったのだ。その防衛本能こそ、彼に一理あることを示していた。彼の正しさを認めるまでに、しばらく時間がかかった。チームが最も意欲的に取り組んでいた時期を振り返ってみると、私が答えを与えた時などは一度もなかった。メンバー自身が何かを創り上げ、当事者意識(オーナーシップ)を持っていた時だったのだ。
私が見落としていたのは、リーダーシップとコントロール(支配)は内側からは似て見えるということだ。なぜなら、どちらも最善の成果を望む気持ちから生じるからである。コントロールの方が、単に結果が早く出る。人々が自分たちの答えを見つけるのを手助けする代わりに、自分の答えを押し付けるのだ。そして、時間短縮になったとしても、多くの場合、当事者意識という代償を払うことになる。
チームのメンバーが声を上げてくれたのは、成果を重視し、かつ私のことを思って、あえて進言してくれたからだ。それこそが、強固な組織文化に不可欠なものである。基準は、トップに立つ人間も含め、あらゆる方向に対して適用されなければならない。
組織文化に責任を持つ
組織文化担当のディレクターを雇うことは、今後ないかもしれないし、多くの優れた組織もそうした採用を行っていない。しかし、誰かがその役割を担わなければならない。誰かが基準を守り、許容されてしまっている問題に対処し、優秀な人材が他の優秀な人材と共に働き続けたいと思える場所を作らなければならないのだ。
5年が経った今でも、私は営業担当者よりも先に、あの役割を採用するだろう。



