2007年7月、米金融大手シティグループのCEO(最高経営責任者)だったチャック・プリンスは、英フィナンシャル・タイムズ紙に対し、音楽が鳴っている限り、シティグループは踊り続けなければならないと語った。その4カ月後の2007年11月、プリンスは職を失った。
2026年9月下旬、ベンチャーキャピタルのメンロー・ベンチャーズでパートナーを務めるベンキー・ガネサンが、このセリフを借りてXに長文を投稿した。投稿の閲覧数は、数日のうちに50万回を超えた。
ガネサンが伝えようとしているのは、ベンチャーキャピタルがここ数年で最も方向感覚をつかみにくい時期にあり、しかも踊っている人たちには踊り続けるもっともな理由があるということだ。
ガネサンは、市場が壊れていると主張しているわけではない。投資先の中には、自分のキャリアで見てきたどの企業よりも速く成長しているところもあるという。その一方で、売上高も製品もなく、創業チームが会議室に収まる程度の企業が、100億〜500億ドル(約1兆5700億〜7兆8500億円)の評価額で数十億ドル(数千億円)を調達しているとも書いている。ガネサンによれば、この2つはどちらも同時に成り立っており、両方に1つの枠組みを当てはめようとする人は、頭がおかしくなってしまうという。
著名投資家ソロスが唱えた「相互作用性」、価格と投資家の考えが互いを動かす循環
ガネサンは、2つの考え方を手がかりにしている。どちらも、彼自身が考え出したものではない。1つ目は、著名投資家のジョージ・ソロスが1980年代から展開してきた「相互作用性」(reflexivity)という概念だ。天気は、人がそれをどう思おうと変わらない。ところが市場は、人がどう思うかで変わる。価格が市場参加者の考えを変え、その考えがまた価格を変えるのだ。ガネサンは、この循環が回っている間は、それがまさに進歩そのものに見えると書く。
先行するAI企業の評価額推移が、後発企業を測る物差しになる
AI業界で相互作用性の循環がどう回っているのか。ガネサンは、メンロー・ベンチャーズがAnthropicに出資していることを断った上で、その仕組みを説明している。ガネサンによれば、投資家たちは、最先端のAIモデルを開発するある研究企業(フロンティアラボ)の評価額が、40億ドル(約6280億円)から180億ドル(約2兆8260億円)、600億ドル(約9兆4200億円)、1800億ドル(約28兆2600億円)、3800億ドル(約59兆6600億円)へと駆け上がり、今や1兆ドル(約157兆円)近くに達するのを目にしてきた。そして、新たに立ち上がる最先端AIの研究企業、いわゆる「ネオラボ」(neo lab)とはこういうものなのだ、と結論づけた。
すると後に続くラボは、自ら築いてきたものではなく、この軌跡をもとに値付けされる。次の資金調達ラウンドで評価額が引き上げられれば、それが正しさの証拠になる。ガネサンの言葉を借りれば、評価額は業績指標から導き出される結果ではなくなり、評価額そのものが指標になる。投資家はもはや、将来のキャッシュフロー(企業が生み出す現金)を現在の価値に割り引いて企業価値を求めてはいない。値付けの土台にしているのは、前回のラウンドの評価額である。
AI新興2社で急伸する評価額、1社は目標割れの調達交渉
ガネサンは例として、2つのAIスタートアップの名を挙げている。OpenAIの元CTO(最高技術責任者)ミラ・ムラティが創業したThinking Machines(シンキング・マシンズ)と、オープンウェイトのAIモデルを開発するReflection AI(リフレクションAI)である。
公開されている情報からは、もう少し細かな事情が見えてくる。報じられているところでは、リフレクションは2025年半ばに5億4500万ドル(約856億円)の評価額で資金を調達し、同年10月には評価額80億ドル(約1兆2560億円)で調達した。さらに2026年3月には、新たな出資を受け入れる前の企業価値であるプレマネー評価額を250億ドル(約3兆9250億円)として、資金調達を目指した。
シンキング・マシンズは2025年7月、評価額120億ドル(約1兆8840億円)で20億ドル(約3140億円)を調達した。今月の報道によれば、同社は今、少なくとも400億ドル(約6兆2800億円)の評価額で、少なくとも10億ドル(約1570億円)を調達する方向で協議している。
同じ報道によれば、シンキング・マシンズの年換算売上高(直近の売上高を1年分に換算した値)は、1億ドル(約157億円)から数億ドル(数百億円)の間にある。つまり同社は、ガネサンが一般論として描いた売上高ゼロの企業には当たらない。報道はまた、今回の評価額が、同社が昨年の終わりごろに目指していたと伝えられる500億ドル(約7兆8500億円)を下回っていることにも触れている。相互作用性が働く市場でも、循環はどこかで抵抗にぶつかるのである。
相互作用性が生む循環がいつ・どう終わるかは、誰にも分からない
ソロスは、多くの人が読み飛ばしてしまう点を1つ指摘しているとガネサンは言う。相互作用性が生む循環がいつ、どのように終わるのかは、誰にもわからない。投資家にわかっているのは、それがいずれ終わるということだけだという点である。



