C200メンバー、ナンシー・デュアルテ寄稿
デュアルテ社の年次キックオフで、私は社員に「AIというバスに乗らなければ、もうここには居場所がないかもしれない」と告げた。当社のキックオフはいつも、意欲を高めるコンテンツを2日間にわたって展開する場だ。築くに値する未来を掲げ、参加者はエネルギーを得て会場を後にする。しかし今回は、圧倒され、自分はまだこの会社にふさわしいのだろうかと自問しながら帰る社員もいた。
私は熱を帯びていた。冒頭で切迫したビジョンを打ち出し、そのままAI戦略へと踏み込んだ。だが、開幕の感情的な枠組みが、その後に続くすべてを社員が受け取るレンズになってしまった。私は、組織が自分と同じ景色を見ているかのように語ってしまったのだ。
2023年末、私は日々の業務運営を経営チームに移し、AIに没入するために小規模な社内ラボを立ち上げた。私たちは新しいモデルを追跡し、ツールを検証し、AIプロダクトを構築した。AIの最前線で働くことは、ピンボール台の中に閉じ込められているようだった。新たな機能があらゆる方向に跳ね回り、ときにはそれが日々起きた。私たちの小さなチームが持続的なパターンを探す間、私はその混沌から会社全体を遠ざけていた。
2025年末までに、エンタープライズ向けAIツールは成熟し、デュアルテが動き出すのに十分なほどパターンが明確になっていた。そこで私は戻ってきた。しかし、ビジョンを携えて戻ってくることと、人々を連れて進むこととは同じではない。私の確信が形になるまで2年以上を要したことを、私は忘れていた。広い組織はその確信に一度に触れることになったのだ。私はチップ・ヒースとダン・ヒースが「知識の呪縛」と呼ぶものに陥っていた。ひとたび何かが自分にとって明白になると、それが明白になる前にどう感じていたかにアクセスできなくなる。
私個人の明晰さと切迫感が、共感を上回ってしまった。ライブの匿名Q&Aでは、社員がAIの環境への影響、良心的に異議を唱える人にもデュアルテでの居場所が残るのか、効率化が価格設定にどのような影響を及ぼすのか、AIへの依存が苦労して身に付けたスキルを弱めるのではないか、といった質問に賛同票を投じた。これらは価値観、帰属意識、熟達に関する問いだった。
そうした問いは、社員がどこにいるのかという座標を私に示してくれた。私は地図上のまったく別の場所に立っていたのだ。これこそ、リーダーの学びが組織の先を行くときに生じるリーダーシップ上の課題である。たとえビジョンが正しいとしても、リーダーは、自分が理解する時間を持てたことと、社員が吸収する機会を持てたこととの距離を縮めなければならない。
ストーリー主導型リーダーは、3つの役割を通じてこれを実行する。先見者(Seer)は、組織が向かうべき場所を見極める。道案内役(Orienteer)は、人々が実際にいる場所を把握し、道筋を描く。語り手(Storyteller)は、人々が前に進むための意味と勢いを生み出す。私は先見者としての仕事はしていた。だが、道案内役としての仕事は十分ではなかった。語り手としての機会を、命令を下すために使ってしまったのだ。
先見者は道筋を残さなければならない
リーダーには、より広い組織の雑音から離れて、破壊的変化を研究する余地が必要だ。そのような没入は可能性を生み、それがパターンとなり、やがて確信になる。未来がリーダーにとって明確になればなるほど、その明確さに至るまでにどれほど時間がかかったかを忘れやすくなる。
リーダーは、そのアイデアが時間をかけてどのように進化したかを経験している。社員が経験するのは、それが意思決定として到着した瞬間だけだ。先見者は、他者のために道筋を残さなければならない。自分の考えを変えたシグナル、捨てた前提、失敗した実験、そしてなお残る不確実性を記録することだ。方向性を定めるときには、磨き上げられた結論だけを提示してはならない。古い答えではもはや十分でない理由を他者が理解できるよう、学びの旅路を十分に再構成する必要がある。
霧の中のあらゆる曲がり角を全員にたどらせる必要はない。だが、未来が文脈なしに到着するほど完全に人々を守ってはならない。
道案内役は座標を確認しなければならない
リーダーの準備ができたからといって、組織の準備ができているわけではない。ガートナーの調査によれば、社員による健全な変化の受容が実現していると報告したビジネスリーダーは32%にとどまる。
準備状況は座標のようなものだ。人々は何を理解しているのか。何を失うことを恐れているのか。何が自分のアイデンティティや専門性を脅かしているのか。今日の仕事をこなしながら学ぶ余力がどれだけあるのか。そうした答えを直接聞くべきだ。匿名Q&A、リスニングセッション、ワークフローの観察は、ステータス報告では見落とされる地形を明らかにする。私は多くの質問にライブで答え、その後、未回答の質問と繰り返し出てきたテーマのすべてに対応する短い動画を録画した。そのフォローアップこそが、方向付けだった。
マッキンゼーは変化を4つの段階、すなわち実行、動員、変革、再発明に分類している。それぞれは前段階の上に成り立つため、再発明を近道として選ぶことはできない。再発明は、組織に対して自らのアイデンティティと価値創造の方法を再考することを求めるものであり、マッキンゼーによれば、リーダーには人間性と謙虚さが求められる。デロイトの調査では、労働者は自ら選んだ変化よりも、押し付けられた変化に対して否定的に感じる可能性が2倍高いことが分かった。
命令は方向性を定めることはできるが、そこへ共に進む必要のある人々を活気づけるとは限らない。方向付けは参加型でなければならない。当社のキックオフでは、各チームがフィッシュボーン型の根本原因分析図を使って難しいワークフローを可視化し、AIに委ねられる可能性のあるタスクを分類した。社員はもはや、私の結論を受け入れることだけを求められていたのではない。自分たちの仕事を吟味し、有用な出発点を見つけていたのだ。
語り手は未来を具体的なものにしなければならない
語り手の役割は、磨き上げられたスピーチを届けることではない。その変化が何を意味するのか、何が価値として残るのか、自分はどこに属するのか、前進とはどのような姿なのかを、人々が理解できるようにすることだ。
当社のキックオフでは、各チームがプロンプトを使って物語を書き、本の表紙をデザインした。実際に遊べるようにしたことで、心理的なハードルが下がった。能力を求める前に、人々は好奇心を通じて生成AIに触れることができた。不確実性への耐性は人によって異なる。早くから探索する人には、試す自由が必要だ。一方で、より明確な境界線と定められた道筋を必要とする人もいる。目の前の一歩に対する熱意の度合いも、人それぞれ異なる。
切迫感と共感は両立させるべきものだ
私は、メッセージの背後にあった切迫感が間違っていたとは思わない。思いやりがあり創造的な文化の中で、その驚きは人々を目覚めさせた。AIが脇役の実験ではないことを明確にしたからだ。だが、衝撃は認識を生み出すことはできても、準備態勢を生み出すとは限らない。恐れは惰性を断ち切ることができる。だが、それ自体が計画になることはできない。
得た教訓は、切迫感を弱めることではなかった。切迫感に共感を見合うだけ伴わせることだった。共感のない切迫感は脅しのように感じられる。切迫感のない共感は現状維持を温存しかねない。
転換点において、リーダーにはその両方が必要だ。変化の大きさについて真実を語らなければならないが、全員が同じ結論に達しているふりをしてはならない。しかし、切迫感があるからといって、翻訳する責任が免除されるわけではない。命令を発する前に、準備状況を自ら確認することだ。自分の確信を生んだ道筋を示す。何が価値として残るのかを明示する。人々が参加できる実践的な方法を示す。そして、誰も声に出していなかったことに耳を傾け続ける。
私は今も、AIが当社のビジネスと業界を再構築すると信じている。私は、破壊的変化から古いビジネスを守ろうとするリーダーだとは感じていない。むしろ、ムーブメントの始まりに立つ旗手のように感じている。先見者は、何が訪れるのかを名付ける。道案内役は、人々が実際にいる場所から始める。語り手は、人々が次に来るものを築くことのできる担い手として自分自身を見られるようにする。先を見通すことと、共に進むことは同じではない。リーダーシップには、その両方が必要である。
ナンシー・デュアルテは、Duarte, Inc.のCEOである。同社はシリコンバレーのコミュニケーション企業で、フォーチュン50企業、政府機関、グローバル組織が最も重要なコミュニケーションを託している。C200メンバーである彼女は、ベストセラーを6冊執筆しており、TEDトークの視聴回数は400万回に迫っている。デュアルテは1988年から女性所有企業である。



