北米

2026.09.21 23:24

MMTは貨幣と同じくらい古い失敗——生産こそが貨幣を生む

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米国の金融当局は、連邦政府の資金を賄うために貨幣を「印刷」しているわけではない。その証拠は、ドルの世界的な流通を見ればわかる。

ドルはニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコでビジネスの通貨として流通しているだけでなく、カラカス、平壌、テヘランでも同じように交換を仲介している。あまりに多くの人が、アルゼンチンは「ドル化」すべきだと言うが、実のところ同国はすでにドル化している。「法定通貨」に目を奪われると、本質を見誤る。

ドルの世界的な流通は、ステファニー・ケルトンの現代貨幣理論(MMT)――中央銀行が無制限に肥大化する政府を可能にするという、失笑を禁じ得ないネオ・オーストリア学派的見解の左派版――を否定するだけではない。同時に、ミルトン・フリードマンのマネタリズムも否定している。

流通する貨幣量を制限する唯一のものは、中央銀行でも財務省でも造幣局でも印刷機でもない。生産の不足である。生産があるところには常に貨幣がある。なぜなら、生産の唯一の目的は、それに見合う財やサービスを見返りとして得ることだからだ。

これはまず、フリードマンのマネタリズムの問題を物語っている。自由市場主義者としてのフリードマンは、いわゆる「マネーサプライ」に安定性を求めた。だが、流通する貨幣は生産を映し出す。つまり流通する貨幣は、その性質上、安定性とは正反対のものなのである。

これは、マネタリズムが自由市場の概念ではなく、ケインズ主義の一変種であることを思い起こさせる。ケインズ主義者は政府支出の増加を成長(そして場合によってはインフレ要因)と見なし、政府支出の縮小を成長鈍化とデフレの証拠と見なす。フリードマンは、中央銀行による交換媒体の増加を成長、場合によってはインフレ要因と見なし、その縮小を反インフレ的で成長を鈍化させる反対の現象と見なした。マネタリズムとケインズ主義は、互いを否定しているというより、同じコインの裏表なのである。

両派の信仰は、政府が経済に投入したり、そこから引き揚げたりできる資源を持っていると想定している。どちらも誤りである。存在するのは生産であり、それ以外には何もない。そして生産があるところには、他の産品によって産品を買うことを容易にする貨幣が、いつでもどこでも存在する。

ケルトンのMMTは貨幣と同じくらい古い。なぜなら、貨幣が存在する限り、人々はそれを使って無償で何かを得ようとしてきたからだ。つまり、彼らは貨幣を誤解している。貨幣は印刷されるものではなく、生産の結果である。「印刷」されるもののことは忘れればよい。流通する貨幣は労働の証しなのだ。

改めて、ニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコを、バッファロー、エルモンテ、ピッツバーグと比べてみればよい。前者3都市に後者より桁違いに多くのドルが存在するのは、偶然ではない。流通する貨幣は生産の結果であって、印刷機の結果ではない。

ケルトンが見落としているのは、この生産という部分である。彼女は、ドルがいま世界的に受け入れられる交換媒体である以上、いわゆる啓発された政府が購入したいものの資金を賄うためにドルを印刷しても、ドルはなおそうあり続けると考えている。そんなことはあり得ない。

ケルトンが、そして彼女以前のフリードマンも見落としていたのは、貨幣は何も買わないということだ。これを疑うなら、カラカス、平壌、テヘランのビジネス上の交換からボリバル、ウォン、リアルが姿を消したことを考えればよい。1920年代のドイツでマルクが姿を消したことも同様である。印刷されたものは、市場に持ち込むものの見返りとして市場の財を望む生産者には受け入れられない。

言い換えれば、MMTが貨幣と同じくらい古く、同時に完全な失敗であることを示す最も確かな兆候は、ドルが明らかに法定通貨ではない場所で流通している事実に見いだせる。生産者は自らの生産の見返りとしてドルを求める。もしドルが印刷されているのなら、彼らはそうしないだろう。

MMTは失敗する。マネタリズムが失敗したように、そしてMMTの「自由市場」側の鏡像であるオーストリア学派が失敗したように。3者はいずれも貨幣に取りつかれているからである。その必要はない。

貨幣はいつでもどこでも、生産の結果である。生産があるところには流通し、あたかも「見えざる手」がそこに置いたかのように存在する。政府はその手ではない。

forbes.com 原文

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