トランプの主張には一理あり、習の提案は魅力的に聞こえるが……
トランプの競争論には一理がある。アンソロピック、OpenAI、グーグルといった米国のAI企業は、最先端モデルの性能において圧倒的なリードを築いている。特に、AIが経済生産性、軍事力、情報エコシステムの基盤としてますます重要性を高めている点を考えれば、優位な地盤を譲らないことには正当な戦略的論理がある。
しかし、純粋な競争姿勢を極限まで追求すれば、世界規模で必要となる安全性やガバナンスに関する対話が分断される恐れがある。AIがもたらすリスクは国境を問わない。それが労働力の置き換えであろうと、誤情報であろうと、あるいは人類の存亡に関わるという推論に基づく懸念であろうとだ。「勝者がすべてを獲得し、敗者はすべてを失う」という枠組みでは、AIというテクノロジーに最終的に求められるであろう国際的な安全基準を構築することは難しくなる。
習が説く開放路線と、中国国内のAI統治が食い違う
一方、習による開放と協力への呼びかけは一見、魅力的だ。AIインフラを恒久的にシリコンバレーか中国に依存しなければならなくなることに懸念を抱く国々にとっては、とりわけそうだろう。だが、旗振り役の中国の国内AIガバナンスは開放性の模範とはほど遠い。しかも、具体性のない国際的枠組みの提案は、実行可能な政策というよりは外交上の姿勢にすぎない。深読みしすぎる前に、実際の中身を確認したいところだ。
互いを信用せず、米国は競走を掲げ中国は連合を語る
いずれの提案も、表明された理想だけで評価することはできない。なぜなら、どちらも根深い戦略的対立によって形づくられているからだ。筆者が最も強く感じるのは、双方の発言の根底にある信頼の欠如である。米国も中国も、相手が誠意をもって行動しているとは信じておらず、その疑念が今、両国がAIをどのような位置づけで世界に提示してみせるかを左右している。一方は、勝つべき競争として。もう一方は、先行する企業に対抗するための連合の構築として。
長期で勝つのは、競争と開放を兼ね備えたエコシステム
過去の技術サイクルから得られる教訓があるとすれば、長期的な観点で勝者となりやすいのは、競争力を生み出すイノベーションと、広く普及するのに十分な開放性をバランスよく備えたエコシステムだということだろう。米国も中国もまだ、そのバランスを完全に確立できてはいない。どちらかがこれを実現するか、またはAIガバナンスにおいて必要な部分で真に協力する道をどうにか見出すまで、世界の他の国々は明確なロードマップもないまま、2つの競合するアプローチの間を手探りで進まざるを得ないだろう。
それは、時代を定義づけるテクノロジーを築くにはあまりにも不安定な基盤だ。


