キャリア

2026.09.19 15:11

「人材」は買うものではなく育てるもの 企業が教育に踏み込むべき理由

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何世代にもわたり、教育とビジネスは暗黙の合意の下で動いてきた。学校は生徒を教育する。企業は卒業生を採用する。それぞれが独立して自らの役割を果たし、教育のパイプラインの最後で初めて接点を持ち、生徒が働く準備ができているかを判断してきた。準備ができていなければ、その問題は学校が解決すべきものとされてきた。

このモデルは、より予測可能な経済状況下ではうまく機能した。しかし今日、人工知能(AI)、自動化、そして急速な技術変化は、従来の教育制度が適応できるよりも速いスピードで仕事を変容させている。世界経済フォーラムの「Future of Jobs Report 2025」によると、雇用主の約63%がスキルギャップをビジネス変革の最大の障壁と認識しており、85%が今後5年間で人材のリスキリングを優先する計画だという。

労働市場のニーズが学校の適応速度を上回って進化しているのであれば、生徒を準備させることはもはや学校だけの責任ではありえない。人材育成は、個人の成功と地域の繁栄の双方にとって不可欠な、共有の責任となっている。

問うべきは、もはや学校が生徒を仕事に向けて準備できているかどうかではない。「地域社会が一体となって生徒の将来に備えさせているか」という問いこそが、より本質的である。

「消費者」から「共同設計者」へ

ブルッキングス研究所は、雇用主が求められる能力(コンピテンシー)の定義、職場での学習機会の拡大、教育者との協働を通じて、教育に積極的に参加しなければならないと論じている。同研究所はまた、雇用主は伝統的に、自らを人材の共同生産者ではなく消費者と見なしてきたと指摘している。

次の進化は明確である。企業は人材の共同設計者にならなければならない。

その違いは単なる言葉の問題ではない。人材を共同生産するとは、教育の枠組みが確立された後に参加することを意味する。人材を共同設計するとは、メンターシップ、インターンシップ、見習い制度、実践的なプロジェクト、現実世界の課題解決を通じて、学びの初期段階からその形成に関わることを意味する。

学校は、生徒がどのように学ぶかを理解している。企業は、仕事がどのように変化するかを理解している。どちらか一方だけでは、生徒を未来に向けて準備することはできない。これらの視点が結びつくとき、教育はより意義あるものとなり、キャリア選択はより十分な情報に基づくものとなり、雇用主は最終的に自らが依存する労働力の形成に関与することになる。

すべての企業には、すでに人材戦略がある。問うべきは、人材に投資するかどうかではなく、その投資をいつ始めるかである。

企業の社会的責任を超えて

企業と学校のパートナーシップは、あまりにも多くの場合、主としてフィランソロピーの観点から捉えられている。そうした貢献は重要だが、今日の経済はそれ以上のものを求めている。人材を育成することは、もはや単なる企業市民としての行為ではない。それは将来の労働力とコミュニティの長期的な競争力の双方を強化するビジネス戦略である。

Jobs for the Futureは、教室とキャリアを結ぶ協調的な経験を通じ、教育者と雇用主が意図的に生徒の育成責任を分かち合うときに、成功するキャリアパスが生まれると主張する。最も優れた企業はこれを本能的に理解している。彼らは研究、イノベーション、長期的な成長に投資している。次世代の人材への投資にも、同じ戦略的コミットメントが求められる。なぜなら、明日の労働力は今日の教室で鍛えられているからである。

人材は「買う」ものではなく「育てる」もの

各地のコミュニティは、人材育成を学校だけの責任にとどめておくことはできないと認識しつつある。むしろ教育は、学区、雇用主、高等教育機関、労働力育成組織、市民のリーダーたちが、機会拡大と地域競争力強化という共通のビジョンに向かって取り組む共同事業となりつつある。

その最も強力な事例のひとつが、ケンタッキー州北部のIgnite Instituteである。Toyota、ブーン郡学区、ケントン郡学区、高等教育機関、そしてビジネスリーダーとのパートナーシップによって創設されたIgniteは、産業界を外部アドバイザーではなく創設パートナーとして設計された。生徒たちはプロジェクト型学習、デュアルエンロールメント(高校と大学の重複在籍制度)、メンターシップ、インターンシップ、実践的な職場体験を通じて、工学、生物医科学、コンピューターサイエンス、教育、デザインの分野を学ぶ。その結果、雇用主が生徒の労働市場入りのはるか以前から学びを形作るモデルが生まれ、教育は生徒のプロフェッショナルな道のりの最初の段階となっている。

同様の考え方は、ペンシルベニア州西部にも見られる。General Carbide Corporationでは、オーナーのMona Pappafava-Rayが、若者の育成を長期的投資と捉える文化を築いてきた。同社のLearn to Earnプログラムを通じて、生徒は在学中から有給雇用、技術訓練、メンターシップ、先進製造への直接的な接触を得ている。General Carbideは、卒業まで待って人材を採用するのではなく、人材の育成そのものを支援している。Pappafava-Rayのリーダーシップは、最も成功する企業が、人材を単に獲得するものとは見なしていないことを示している。彼らは意図的に人材育成に関わり、自社の事業と自社が支えるコミュニティの双方を強化しているのだ。

共有される責任

経営学者ピーター・ドラッカーはこう語っている。「未来を予測する最善の方法は、それを創り出すことだ」

機会のコミュニティ(Communities of Opportunity)は、あらゆる機関が人材育成の責任を引き受けるときに生まれる。共通の目的に向けてそれぞれの強みを整合させることで、すべての子どもに機会を創出しながら、コミュニティの経済的・社会的活力を強化するのである。

コミュニティは、明日の労働力課題を誰かが解決してくれるのを待つことはできない。将来の成功を可能にする条件を、意図的につくり出さなければならない。雇用主が人材の消費者ではなく共同設計者になるとき、生徒は意義あるキャリアへのより明確な道筋を得て、企業はより強く適応力のある労働力を育て、コミュニティはより競争力があり、革新的で、経済的に強靭な存在となる。

おそらく最も大きな転換が求められるのは、運用面ではなく哲学の面である。あまりにも長い間、教育は学校の責任であり、労働力開発は雇用主の責任であると見なされてきた。未来が求めているのは、人間の可能性を育てることは共有された責任だとコミュニティが認識するマインドセットである。学校は土台を提供する。企業は現実との関連性を提供する。高等教育は機会を広げる。労働力関連組織は学びとキャリアを結びつける。市民機関は、すべての若者が成長できる条件を整える。これらの取り組みが共通の目的に向けて整合するとき、人材は個人の資産以上のものとなる。それはコミュニティにとって最大の競争優位となる。

人材は卒業時に発見されるものではない。学校、家庭、企業、コミュニティが、長年にわたる共同投資を通じて設計するものなのである。

forbes.com 原文

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