新しい事業を立ち上げるとき、すべてが輝いて見え、新鮮に感じられる。空気には興奮が満ちている。目の前の仕事に集中し、会社を成功させることだけを考えたくなる。もちろん、ストレスは大きく、眠れない夜もあるだろう。しかし最終的には、全力を尽くして特別な何かを作り上げたという達成感が報酬として得られるはずだ。
しかしその過程では、非常に優秀な人々があなたに助言を与えることになる。そして多くの場合、その助言には耳を傾けるべきである。何しろ彼らは専門家なのだ。ただ、彼らもまたあなたと同じように、その熱気に飲み込まれることがある。そうなると、過ちが起こり得る。時には致命的な過ちだ。注意しなければ、会社を破綻に追い込みかねない。
1997年に24/7 Mediaを立ち上げたとき、私のチームには素晴らしいアドバイザーたちがいた。しかし彼らが与えたある助言は、結果的に会社をほぼ死に追いやるものとなり、同時に最後には会社を救うものにもなった。
背負ったリスク
24/7 Media誕生の物語は、ケーブルテレビから始まった。私は前の会社をロイターに1000万ドル(約15億5000万円)で売却したばかりで、原点回帰としてPetry Televisionで働き始めていた。私の仕事は同社にとっての新たな機会を見つけることで、入社してしばらくしてから、私たちはそれを見つけた。インターネットである。
当時のインターネットは、主に大学生と、郵送されてくる無料のAOLディスクを使う人々のものだった。それでも、大きな可能性があった。すでに広告も存在していたが、どれもうまく行われておらず標準化もされていなかった。私たちはそのモデルを変えたいと考え、実際に変えた。広告を販売するための新たな手法をいくつも生み出したのだ。私たちはPetry Interactiveという部門を設立し、インターネット広告事業を立ち上げた。
大きな可能性はあったものの、Petryのオーナーには、望むほど多くの資金を投入する余力がなかった。そこで、私たちは取引をまとめた。私がPetry Interactiveを買い取り、独立した会社としてスピンオフさせ、彼は株主の一人になるというものだった。事業を軌道に乗せるには素晴らしい方法であり、成功への滑走路を与えてくれた。
その時点で必要だったのは、さらにいくらかの資金だけだった。
代償を伴う資金調達
その後の数週間から数カ月にかけて、この新会社を形にしようとするなかで、多くの要素が同時に動いていた。最終的には、優れた投資家たちとの出会いのおかげで、複数の会社を統合し、新たな組織をつくることになった。それが24/7 Mediaである。私はCEOに就任することになった。
すべてが整ったところで、次に必要だったのは取締役会の設置だった。私たちの取締役会には、大物がそろっていた。その一人がテッド・アモンだった。彼はブライアン・バロウとジョン・ヘリヤーによる著書『Barbarians at the Gate: The Fall of RJR Nabisco(邦題:野蛮な来訪者 RJRナビスコの陥落)』にも登場する、業界の有名人だった。彼は非常に聡明で知識も豊富だったため、何を犠牲にしても成長に集中すべきだと彼が提案したとき、私たちはその通りにした。彼は大きな成功を収めていたのだから、自分が何を言っているのか分かっているはずだ、というわけである。
24/7 Mediaは買収攻勢に出た。テクノロジー、サーバースタック、事業部門など、基盤となる企業の成長に役立つものであれば、あらゆる会社を買いあさった。私たちは急速に大きくなり、わずか1年ほどで新たな国や大陸へと進出した。2000年までに、世界52拠点で1000人を超える従業員を抱えるまでになり、IPO(新規株式公開)もかなり好調だった。株価は1株69ドル(約1万円)、時価総額は18億ドル(約2790億円)に達していた。すべてが上向いているように見えた。
しかし2000年3月にドットコムバブルが崩壊すると、突然、私たちは生き残る方法を考えなければならなくなった。そしてそのとき、成長の代償が興味深い副作用をもたらした。
ツケが回ってくる
私たちはそれまで成長に多くの時間を費やしていた一方で、事業そのものには注力していなかった。収益性はなかった。なぜなら、それが目標ではなかったからだ。しかし今や、私たちは早急に黒字化する必要があった。さもなければ、会社を永久に閉じなければならなかった。
競合他社の一部がそうしたように、最初から収益性を目指していれば、バブル崩壊をより良い状態で迎えられたかもしれない。だが実際には、そこに至るためにやってきたこととは逆の行動、すなわち資産の売却を始めなければならなかった。
こうして、私たちの失敗は利益に転じた。あと1カ月分の給与を賄うためだけに、売れる事業はすべて売った。厳しい状況であり、大きな損失も被った。それでも私たちは何とか乗り切り、2007年には同社をWPPに7億ドル(約1090億円)弱で売却した。
もう一度やり直せるなら、収益性と成長の中間の道を見つけようとするだろう。私たちの買収案件の中には、より収益性を高め、最終損益に貢献し得るものもあったはずだ。買収においてはもっと戦略的になり、一度に多くを抱え込みすぎないようにする必要があった。
明らかに私たちはそうしなかったが、それでも崩壊の向こう側にたどり着くことはできた。しかし今日、あなたが自身の事業を立ち上げようとしていて、アドバイザーから「何よりも成長を優先せよ」と告げられたなら、勢いよく飛び込む前に、それが何を意味するのかを一度立ち止まって考えてみてほしい。



