私が学長を務めるカレッジでは、3年連続で入学者数が増加している。この結果を誇りに思うと同時に身が引き締まる思いだが、入学者獲得であれビジネスであれ、成功が永続するという保証はどこにもない。組織がなし得る最も賢明な行動の1つは、業績が絶好調のときに一歩退いて自らのプロセスを再評価することだ。
それこそが、将来にわたって組織を強化するための意思決定を下すためのビジョン、時間、リソース、そして自信が揃っているタイミングだからだ。
多くの組織は、今日の問題を解決することにエネルギーを費やしている。次の課題に先んじるために、十分な人材を採用し、十分な顧客を獲得し、十分な収益を生み出すことに集中している。成功する組織はどこも、その段階を経験する。しかしやがて、成長そのものだけが目標ではなくなる。
成長がもはや目標ではなくなるとき
問いかける内容が変わってくる段階に到達する。単に「どうすればより多くの学生を入学させられるか」ではなく、「入学してくる学生一人ひとりが成功する可能性を最大限に高めるにはどうすればよいか」を問うようになる。この2つはまったく異なる目標である。
私たちの思考を導く概念の1つが、パレートの法則である。比較的小さな割合の要因が、しばしば不釣り合いに大きな割合の結果を生むという観察だ。私たちは、少数の学生が、教職員が直面する課題の大半を占めていることに気づいた。あらゆる組織にこれと同様のケースが存在する。多大な時間とエネルギーを消費する顧客、従業員、あるいは社内プロセスなどがそれにあたる。
それを「ビジネス上のコスト」として受け入れることも1つの選択肢だが、状況をより深く精査する方が賢明だと考えている。
対症療法ではなくシステムを改善する
これらの課題をいかに効率的に処理するかを問うのではなく、そもそもこうした課題の発生を減らすためにシステムを改善できないかを問うのだ。そうすることで、入学プロセス(あるいは採用プロセス)から、相手に寄せる期待値、さらには組織の一員になることの意味を伝える方法に至るまで、すべてを再考できるようになる。
私たちはまだこうしたアイデアの多くに取り組んでいる最中だ。しかし、1つのことはすでに明らかになっている。組織が健全な状態にあるときのほうが、単に生き残ろうとしているときよりも、システムを改善するのがはるかに容易だということだ。
私たちの思考における最大の転換の1つは、成功は専門的な能力だけで決まるわけではないと認識したことだ。学生を受け入れるにせよ、従業員を採用するにせよ、知識や適性は重要である。しかし、好奇心、回復力(レジリエンス)、主体的な責任感、そしてフィードバックを求める謙虚さも同様に欠かせない。これらの資質は、生まれ持った才能と同じくらい、長期的な成功を左右する要因となることが多い。
重要な行動を定義する
この気づきにより、「相性」に対する私たちの考え方も変わった。全員が同じような考え方をする人を採用したり入学させたりするという意味ではない。個人と組織の双方が成長するために必要な「行動」を、意図的に特定するということだ。
私は、自分自身に別の問いを投げかけるようになった。私たちが最も優れていると考える人たちは、私たちが価値を置くと明示してこなかったどのような行動を、一貫して取っているのか、と。
私たちにとってその答えは、主体的に行動すること、思慮深い質問をすること、継続的な自己改善に努めること、そして外から不満を漏らすのではなく、建設的なチャネルを通じて懸念に対処することなどだった。どれも特別なことではないが、私たちがそれらを明確に示してこなかったことに気づいた。人々が活動を通じて自然と身につけていくものだと思い込んでいたのだ。
特定の行動が組織のカルチャーにとって本当に重要であるならば、それを明確に伝えるのがリーダーの責任だ。
現在が好調なうちに、未来へ投資する
これは決して人々を排除するための取り組みではない。より多くの人が成功できる環境を整えるためのものだ。教職員が予防可能な問題の対処に費やす時間は、前向きに努力している学生へのサポートに充てられたはずの時間なのだ。これはどの組織にも当てはまることだろう。不必要な摩擦が減れば、全員がその恩恵を受けることができる。
私はこれをレースに例えて考えることがある。ある段階に達すると、成功とは「車をさらに速く走らせること」ではなく、「コーナーをいかにうまく曲がるか」にかかってくる。単に成長のために成長を追い求めるのではない。ある時点で、より強固で効果的な組織、つまり将来にわたって貢献し続けられる組織を目指すことが重要になるのだ。
引き継いだときよりも良い状態にして組織を去る
私の父は、現在私が学長を務めるこのカレッジでキャリアの大半を過ごした。1970年代後半、父はこの学校を活気ある教育機関へと成長させるのに貢献した後、別の学校を率いるために去った。その後の20年間で入学者数は徐々に減少し、学校は財政難に陥った。2000年に父が戻ってきたとき、彼はカレッジの経営を安定させ、再建を果たした。
その歩みを間近で見てきたことが、私のリーダーシップ観を形作った。父がカレッジの成功に貢献したことを誇りに思っていたのは当然のことだ。しかし、年月を経て、私は成功の定義を少し異なる形で捉えるようになった。自分が在籍している間に組織の業績が良いこと以上に、今日下す決断が、自分が去った後も長きにわたり組織が同様に、あるいはそれ以上に機能し続けるためにどう役立つかを考えることが極めて重要なのだ。
私はよく、ワールドカップの試合後にスタジアムに残ってゴミ拾いをしてから帰る日本のファンのことを考える。彼らは見返りを求めてそうしているのではない。自分が来たときよりも、その場所を少しでもきれいにして去るのが自分たちの責任だと信じているのだ。それこそが、私たちが目指すべきリーダーの姿ではないだろうか。



