2007年、ナデラには望む限りの博士号取得者を雇用する機会がついに訪れた。マイクロソフトCEOのバルマーが、オンラインサービス部門のエンジニアリング責任者としてナデラを呼び寄せたのだ。このカテゴリーでは、マイクロソフトは王者グーグルに対してほとんど歯が立たずにいた。マイクロソフトは数十億ドルを投じ、名称を改めた自社の検索エンジンBingを本格的な世界的競合へと育て上げようとした。その苦闘は今日に至るまで続いている。
ナデラ時代の人材投入によって、Bingのアルゴリズムは大幅に洗練された。しかし、ユーザーの反応は鈍いままだった。ナデラが着任した2007年のコムスコアの調査データでは、グーグルのシェアが49.7%だったのに対し、マイクロソフトは10.3%だった。ナデラが去った2011年時点の数字は、グーグルが65.4%、マイクロソフトが13.6%だった(その後、Bingのシェアは18.6%まで上昇している)。
Bingの苦境は、かつて無敵を誇ったマイクロソフトの「ファスト・フォロワー(俊敏な追随者)」戦略の破綻を浮き彫りにした。1990年代であれば、小規模なライバル企業が表計算ソフトやブラウザ、ワープロソフトを先駆けて開発したとしても問題はなかった。マイクロソフトは、扱いやすい自社製ツール群に統合された完成度の高い代替製品を投入し、それらの市場を一気に制圧できたからである。
検索市場の敗北が教えた限界
しかし10年が経ち、世界は変わった。検索分野では、グーグルの圧倒的なシェアが質の高いユーザーデータを生み出し、それがサービスの精度を磨き続けるアルゴリズムの改良につながった。さらに広告主たちも、最も利用者の多い検索エンジンに予算を集中させる姿勢を崩さなかった。グーグルが検索連動型広告から数十億ドルの利益をあげる一方で、Bingは費用を回収することすらできなかった。バルマー時代末期、他社の成功を迅速に追うというマイクロソフトの「ファスト・フォロワー戦略」は、あらゆる分野で手詰まりに陥っていた。ウィンドウズ フォン、携帯音楽端末のZune、サーフェス・タブレットと、どのカテゴリーでも苦戦が続いた。
検索事業のBingで4年間にわたり終わりの見えない苦闘を続けてきたナデラは、2011年、さらにやり甲斐のあるポストを手に入れた。マイクロソフトのサーバーおよびツール部門のトップへの就任である。そこは骨太な技術者たちの領域だった。華やかさには欠けるものの、利益率が高く、成長を続け、ユーザーからも高く評価されていた。意欲的な管理者たちはこうした部署で力を発揮し、周囲から絶えず細かく詮索されることなくルールを書き換えていく。ナデラが引き継いだ事業資産の中には、マイクロソフトの小規模ながら有望なクラウド施策である「Azure(アジュール)」が含まれていた。
アジュールの潜在性を見抜き、年150%もの急成長へと導いた手腕。そこにこそ、ナデラの真骨頂が表れている。
ナデラが就任した当時、アジュールは重大な分岐点に立っていた。同サービスは、数年前に先行して立ち上がっていた市場首位のアマゾン・ウェブ・サービス(AWS)に対抗するために構築されたものだった。さらにアジュールには、自社製品をあわせて使ってもらい、顧客のシステム基盤を丸ごとマイクロソフト製品で固めてもらうという狙いもあった。顧客がアジュール上でウィンドウズOSを動かしたいと望むなら、マイクロソフトは喜んで契約を受け入れた。しかし、ライバルであるLinux(リナックス)の採用を顧客が希望した場合、選択の余地は与えられなかった。かつてバルマーはリナックスを「がん」と呼んだほどだった。


