「最近近所にドラッグストアばかりが増えていて、反対にケーキ屋さんはどんどんなくなっているんだよね」
子どもの誕生日ケーキについて話していた何気ない会話での妹のひとことでした。原価が上がり、ケーキの値段も上がる一方で、給与は上がらないから、ケーキを買う余裕もない。みんなコンビニのスイーツで「小さな贅沢」をすましている。そんな不満を聞きながら、このコメントの「ケーキ屋さん」に込められたものがなんなのかと、ずっと頭にひっかかっていました。
「ケーキとは極めて奇妙な存在である。その料理上の重要性からは到底釣り合わないほど、多種多様な感情の起伏を引き起こすのだから。ケーキは、まったくもって不必要なものでありながら、同時に絶対欠かせないものでもあるのだ」(筆者訳)
これは、文化史家ニコラ・ハンブルの著書『Cake: A Global History』の序章の一節です。多くの文化圏において生活の「余剰」でありながら、人々の感情の支えになっているケーキ。ラグジュアリーを考える面白い題材になるような予感がしました。
データを見ていくと、日本のまちのケーキ屋、つまり高級パティスリーではなく、駅前や住宅街にあるような「普通の洋菓子店」の倒産が記録的なペースで進んでいます。
帝国データバンクによれば、2024年度の洋菓子店の倒産件数は前年から大幅に増加し、過去最多水準を記録しました。背景にあるのは、小麦粉、卵、バターなどの原価急騰だけではなく、消費者の「ケーキの適正価格」の感覚が、デフレ時代から更新されていないことにもあるといいます。原価に見合う値上げをすればコンビニスイーツなどの低価格帯に客を奪われ、価格を据え置けば利益が出ない。洋菓子店はこの板挟みの中で苦境に立たされています。
しかし都市部では、予約制の高級パティスリーやSNS映えする一点物のケーキ店の活況という別の事象もうかがえます。つまり消えているのは、「高級でも特別でもなく、コンビニより安くもない、ちょうど真ん中」の店。角を曲がればそこにあったような「ケーキ屋さん」なのです。
栄養的にも経済的にも「不必要」に思えるケーキがもつ感情的な「重さ」。このギャップはなんなのか。その要素として考えられるのは、誕生日や結婚式などのパーソナルな節目や儀式とのつながりや、「誰かと食べるのもの」というイメージが与える幸福感かもしれません。
たとえば、ハーバード大学とミネソタ大学の研究チームが行った行動科学実験(Vohs, Wang, Gino & Norton, 2013年)では、食事の前になんらかの儀式的な所作をはさむことで、チョコレートやレモネード、さらにはニンジンでさえも、儀式なしで食べる場合と比べて、より風味豊かで価値あるものとして感じられることが示されています。この研究ではバースデーケーキを、「本質的に社会的な消費儀式の典型例」として挙げています。
また、オックスフォード大学のウェルビーイング研究センターが142カ国のデータを分析した研究『World Happiness Report 2025』では、「誰かと一緒に食事をする頻度」が主観的幸福度を予測する要因として、所得や雇用状況に匹敵する強さを持つことが明らかになっています。



