これほど多くのサミットが開かれながら、信頼がこれほど乏しい時代にあって、私たちにとって最も強力なリーダーシップの手段は、いまもなお、同じテーブルに着くことなのかもしれない。
1814年、ナポレオン戦争後の新秩序を協議するため、欧州の政治家たちはウィーンに集まった。フランスは敗れ、孤立していた。だがその代表であるシャルル=モーリス・ド・タレーランは、2世紀後の現在にも通じることを理解していた。交渉は、人々が交渉の席に着くずっと前から始まっているということだ。タレーランはもてなしが持つ外交上の力を理解し、晩餐と食卓を用いて、公式交渉の外側で関係を育んだ。
今日、これは「ガストロディプロマシー(美食外交)」と呼ばれている。しかし、この技術はそれよりもはるかに古いものだ。
テーブルに着く
この9月、国連総会とクライメート・ウィークのためにリーダーたちがニューヨークに集うが、世界はまるで過剰運転の様相を呈している。米国の中間選挙、欧州各地の重要な投票、COP31、そして相次ぐサミット。そのすべてが、地政学的な信頼が枯渇しつつある只中で起きているのだ。
彼らは議題、データ、宣言、そしてますます強力になるテクノロジーを携えてくるだろう。
では、信頼はどうか。それは見つけるのが難しくなっている。
私たちは人々を集めることには極めて長けてきた一方で、彼らが互いに耳を傾けるための条件を整えることには驚くほど不得手になっている。
ここでは、テーブルと、古代から続くコンヴィヴィウム(共食)の習慣がリーダーシップについて教えてくれる5つの教訓を紹介したい。
1. 必要になる前に信頼を築く
リーダーは往々にして、信頼をコラボレーションが成功した結果としてもたらされるものと考えがちだ。しかし現実はその逆であり、信頼こそがコラボレーションを可能にする。
私たちは交渉を予定に組み込み、その後に人間関係がついてくることを期待する。しかし、最も重要な仕事は、往々にして議題が始まる前に行われるものだ。
自身のスケジュールを振り返ってみてほしい。何かを頼む必要が生じる前に、人間関係の構築に実際どれだけの時間を費やしているだろうか。
信頼を引き出すためには、あらかじめ銀行に信頼を預け入れておかなければならない。
2. もてなしはリーダーシップである
文化や時代を超えて、人々は同盟を築き、相違を乗り越え、知識を受け継ぐためにテーブルを囲んできた。
筆者の組織である「地中海リビング・ラボ(Mediterranean Living Lab)」の拠点があるポッリカでは、鍛えるべき筋肉のように、この習慣を絶やさずに守り続けている。食べ物がテーブルの上を行き交う一方で、物語や意見の対立、そして責任もまた行き交うのだ。
今日、共に囲むテーブルは至るところにある。しかし私たちは、その舞台装置を再現しながら、仕組みそのものを失う危険を冒している。
一度限りのテーブルはイベントにすぎない。しかし、歓迎し、耳を傾け、協力し合うプロセスの日常的な一部となったテーブルは、メソッド(方法論)となる。
ポッリカでは、それが毎週日曜日に、そして新たなパートナーやゲストが訪れるたびに行われる。テーブルは仕事の終わりの祝宴ではない。それは仕事そのものの一部であり、実践であり、最終的には姿勢である。
それこそがもてなしである。人々が帰属意識を持ち、貢献し、互いに責任を負い合える環境をつくり出すことなのだ。
3. 権力の幾何学を再設計する
構造設計(アーキテクチャ)が中立であることは決してない。
演壇はすべての視線を前方に集める。役員会議室は物事を硬直的で形式的なものにする。だが、共有されたテーブルはどうだろうか。それは私たちに、実際に互いの目を見ることを促す。
ポッリカで私は、市長が農家の隣に、科学者が漁師の隣に、学生が国際的リーダーの隣に座る光景を見てきた。そこでは一時的に、肩書よりも、その人が実際に何を知っており、どのような人生を送ってきたかの方が重要になる。
複雑な課題には、異なる形の知性が必要だ。
時に、誰が発言権を得るかは、単にどこに座っているかによって決まることもある。
4. 文化をインフラとして扱う
人々は地中海食について、単なる食材のリストであるかのように語る。しかし、その本当の価値の大部分は、人々が共に育て、料理し、分かち合い、知識を伝えていくその方法にある。
その核心にあるのは、テーブルを囲んで共に生きる「コンヴィヴィウム」なのだ。
地中海食は、土壌を健康へ、生物多様性を経済へ、世代を知識へ、個人のウェルビーイングを集団的責任へと結びつける。ある意味でそれは、食事という形で目の前に隠れているガバナンスのシステムのようなものだ。
リーダーはしばしば、文化を「ソフト」なものとして片づける。だが、そうではない。
文化は、私たちが何を大切にし、何を記憶し、そしていざという時に実際に協力し合えるかを決定づけるものなのだ。
5. AIの時代において、「存在(プレゼンス)」こそが希少な資源である
AIは数値を処理し、シナリオをモデル化し、言語を翻訳し、交渉の準備を行うことができる。しかし、人工知能が賢くなればなるほど、本物の人間の「存在」の価値はさらに高まる。
私たちは、AIには決して触れられない部分で、今でも深く人間的だ。私たちは他者を気遣い、信頼し、耳を傾け、分かち合い、考えを変えることができ、そして実際に互いのためにその場に居合わせることができる。
AIは妥協案を吐き出すことはできても、自らそれを受け入れる選択はできない。議題を最適化することはできても、状況が厳しくなった時にテーブルにとどまり続ける決定を下すことはできない。
だからこそ、いまテーブルはこれまで以上に重要なのかもしれない。食事を共にすることは、私たちを「いま、ここ」へ、他者へ、感覚へ、そして私たちは皆互いに依存し合っているというシンプルな真実へと引き戻してくれる。
次の10年で傑出した存在となるリーダーは、テクノロジーが代替できないもの、すなわち「共に深く人間らしくある能力」を守り、実践する人々だろう。
椅子を持ち寄り、自分自身の何かも携える
2026年11月16日、世界は、コンセンサスにより採択された国連決議を受けて、初の「地中海食の国際デー」を迎える。
地政学的な合意が乏しく感じられる時代に、非常に異なる歴史と利害を持つ国々が、シンプルなものをめぐって共通基盤を見いだした。人々を養い、地域を守り、テーブルを分かち合うことである。
テーブルが戦争を終わらせることはできず、政治的勇気に取って代わることもできない。だが、合意が可能になる前に何が起こらなければならないのかを、私たちは過小評価しているのかもしれない。
この秋、リーダーたちは戦略、データ、モデル、そしてますます強力になるAIを携えて到着するだろう。私たちは、あまりにも取り残されがちな声のために椅子を用意し、そして自分自身の何か——存在感、謙虚さ、そして耳を傾ける意思——を携えることも忘れないようにしたい。
誰をテーブルに招くかは重要である。と同時に、私たちがどのような姿勢でそこに臨むかも、同じくらい重要である。
それがコンヴィヴィウムである。単に一緒に座ることではなく、そこに存在し、分かち合い、貢献することだ。
リーダーシップは交渉の前に始まる。それは、誰に席を与えるかを決め、本当にその場に身を置く勇気を持つことから始まる。



