馬の目隠しが教える「悪しきリーダーシップ」の正体
長年にわたり、ビジネス文化はスピードを疑う余地のない美徳として称賛してきた。リーダーは迅速な意思決定、即応性、飽くなき生産性によって評価される。だが、組織が評価するそうした習慣こそが、判断力、協働、イノベーション、そして従業員のウェルビーイングを静かに損なっている可能性がある。
リーダーシップ・コンサルタントで、『Sometimes You Should Be Late:スピードに取りつかれた世界で減速する静かな反抗』の著者であるアレックス・スナイダーは、多くの組織が「動いていること」を「前進していること」と取り違えてきたと考えている。彼は締め切りや説明責任に反対しているのではない。緊急性が注意、意思決定、人間関係をどのように形づくっているのかを、リーダーに問い直すよう促しているのだ。筆者との対話でスナイダーは、ペースを落とすことは「より少なく行う」ことではなく、「より多くを見る」ことだと説明した。
スナイダーが用いる最も力強い比喩の1つが、馬の目隠しである。「職場では非常に多くの場合、締め切り、PR危機、組織再編、四半期目標が私たちの注意を奪う」と彼は語る。「それらは重要なことなので、注意を向けるのは健全だ。問題は、それによって周囲にある、同じく重要な他のものが見えなくなることを許してしまうときに生じる」
彼によれば、見落とされる問題は多くの場合、3つのカテゴリーに分かれる。品質を犠牲にしたり倫理的懸念を見落としたりする戦略上の意思決定、法務や承認の要件を急いで飛ばすことで生じる業務上のミス、そしてバーンアウト(燃え尽き症候群)やチームメンバーへの評価不足といった人的コストだ。「馬が目隠しを着けるのには理由がある。進む先に注意を集中させるためだが、その代償として周囲の世界が見えなくなる。緊急性が私たちの注意を狭めると、1つの問題は解決する。だが、しばしば別の問題を生み出す」
集中と視野の違いは、スナイダーが効率性と有効性を区別する際にも重要になる。「効率性は、何をしているかには関心を持たない」と彼は指摘する。「有効性は別の問いを投げかける。これはやる価値があるのか、という問いだ」
会議はその違いを完璧に示している、と彼は言う。効率的な会議は、予定どおりに始まり、予定どおりに終わり、すべての議題を消化するかもしれない。だが有効な会議は、チームメンバーの追加的な努力を認めるために意図的に立ち止まったり、組織変革の影響を受ける人に近況を尋ねたりすることがある。たとえそれで数分延びたとしてもだ。「愚かなリーダーは、この余分な時間を無駄と見る。賢いリーダーは、それを極めて有効なものと見る」
同じ緊張関係は、スピードと協働の双方を公に掲げる組織にも表れる。スナイダーによれば、その2つの目標はしばしば互いに競合する。「スピードは協働を殺す」と彼は言う。「応答時間の短さやプロジェクトを素早く終えることが最重要視される環境では、たとえそれが自分の主な仕事ではなくても、他者を助けるためにペースを落とすことは押しのけられてしまう」
真の協働には、そうしたトレードオフが存在しないふりをするのではなく、組織がそれを認めることが必要だと彼は主張する。「組織は、即応性と深い協働という価値観の間にある緊張を認めることなしに、その両方を同時に評価することはできない。つまり、無駄に感じられる会議があるかもしれないし、コーヒーを飲みに行くために時間を投じることもある。チームメンバーが自分の子どもやペットの写真を共有する時間を取ることもある」
スナイダーはまた、現代の生産性文化が、人々にアウトプットと個人の価値を同一視させていると考えている。「競争の激しい職場、そしてLinkedInで転職や就職の近況が共有されるこの時代には、自分の価値は何をするかによって定義されると考えやすい」と彼は言う。「それは単純な足し算の思考につながる。より長く働き、より多くを達成し、より価値ある存在になる、という発想だ」
だが彼は、真の生産性はしばしば予想外の形で機能すると主張する。「散歩をして頭をすっきりさせることが、創造的な行き詰まりを乗り越える最善の方法であることもある。同僚との予定外のランチで新しいアイデアが生まれることもある」。同じように重要なのは、「注意が私たちの人生に意味を与える」という点だと彼は付け加える。素晴らしい景色も、スマートフォンを見つめていては十分に楽しめない。成果も、その達成とそれを可能にした人々を祝う時間を取ることで、より深く味わえる。
こうした習慣は、従業員が職場に入るずっと前から形成され始める。スナイダーは、学校が責任や締め切りを教えることは適切だと認めつつも、しばしば本質的な何かが欠けていると考えている。「課題は、それと同じくらい重要なこと、つまり気づきと見極めを教えていないことだ」。その代わりに、多くの学生は「身体からのサインを無視すること、他者に助けを求めないこと、期限延長を求めたり履修負担を減らしたりすることは弱さの表れだということ」を学んでいる、と彼は言う。教育は「学業、家族、社会生活、個人のウェルビーイングという競合する要求をどう乗りこなすか」も教えるべきだと彼は考えている。
テクノロジーはこうした圧力をさらに強めてきた。デジタルツールは効率向上を約束する一方で、多くの人はかつてないほど忙しいと感じている。スナイダーはこれを「効率性のパラドックス」と呼ぶ。
「物事をより速くできるようになるほど、私たちはより多くのことをすべきだと考える。そのため、結局、忙しさは少しも減らない」と彼は説明する。「親と電話をしながらメールに返信したり、運転中にAmazonで何かを注文したり、犬の散歩中にメールに返事をしたりすると、注意は薄まり、そのどれも十分に経験していないことになる」
彼が提示する代替案は、「非効率性のパラドックス」と呼ぶものだ。「より少ないことを、よりゆっくり、より意図的に行うとき、私たちはそれをより十分に経験する」
緊急性と重要性を切り分けることに苦労するリーダーに対して、スナイダーはまず、その判断がどこから来ているのかを検討するよう勧める。「私たちはあまりにも頻繁に、何が重要で緊急なのかについて、世の中からのシグナルに頼っている」と彼は言う。「十分にペースを落とせば、何かが本当に緊急なのかを問い、それが深く重要な何かを押しのけていないかを見ることができる」。彼が挙げる例は意図的にシンプルだ。「つらい1週間を過ごしているチームメンバーに感謝のメモを書くことは、緊急で重要なことだろうか。私は答えはイエスだと思う」
彼の哲学が最もよく表れるのは、組織が時間そのものをどう捉えるかという点かもしれない。「締め切り、シフト、会議の開始時刻などは有用だが、重要なのはそれだけではない」とスナイダーは言う。ストレスの多い時期に時折締め切りを延ばしたり、同僚が本当に支援を必要としているために素早く対応したりするリーダーは、彼の見方では「時間を孤独な闘いではなく、共有資源として扱っている」のである。
彼は意思決定についても同様に、微妙な見方を示す。迅速な行動か終わりのない熟議かのどちらかを処方するのではなく、どの状況にどちらの対応が必要なのかを見極めるところに知恵があるとスナイダーは考えている。「ペースを落とすことで、その瞬間がどの対応を求めているのかを判断しやすくなる」と彼は言う。「あなたが決断力を発揮しているのは、それが自分の果たすべき役割だと思っているからなのか。それとも、すでに決めているにもかかわらず、人々に『相談された』と感じてもらうためにヒアリングを行っているのか」
同じように彼は、リーダーに活動量ではなくエンゲージメントを測るよう促す。彼は、単に会議に時間どおり到着する「時間の時間厳守」と、従業員が本当にその場に存在し貢献している「感情の時間厳守」を区別する。目に見える忙しさを追跡する代わりに、同僚同士が助け合っているか、リーダーが沈黙ではなく率直なフィードバックを受け取っているか、従業員が急いで仕上げた成果物を出し続けるのではなく、質の高い仕事をするために追加の時間を求めているかを問うことを彼は勧める。
今後について、スナイダーが懸念しているのはテクノロジーそのものというより、加速するテクノロジーが何に取って代わるのかという点だ。「私が最も懸念しているのは、スピードを上げるときに何を失うのかを私たちが忘れてしまうことだ」と彼は言う。彼はとりわけ、AIが人々を本物の人間的なつながりから徐々に遠ざける可能性があるのではないかと問いかける。「チームメイトや配偶者への謝罪メールの下書きをAIに頼むようになったら、何が起きるのか。会議のAI要約を読むことが、チームメンバーの声の調子に耳を傾けることと同じだと考えるようになったら、何が起きるのか」
彼のより大きなメッセージは、職場の生産性をはるかに超えている。「目標は、遅いこと自体ではない」と彼は言う。「むしろそれは、何が大切なのかを思い出すための道具なのだ」
より速く動くよう絶えず圧力を受けるリーダーにとって、それこそがより難しい課題なのかもしれない。つまり、もう1分を節約する方法を見つけることではなく、そもそも何に全注意を向けるべきなのかを決めることだ。



