いつか未来のある日、医療研究者がノートパソコンを開き、希少疾患の調査を始める。AIアシスタントを通じて、遠隔地のデータセンターで従来型コンピューターと並んで稼働する量子プロセッサーにアクセスする。両者が協働し、検証すべき分子候補を特定する手助けをしてくれる。彼女はその計算を行う機械を実際に目にしたことはないが、この研究がついに有効な治療法を生み出し、数百万人の命を救えると確信している。
まさにこのシナリオを追い求めている企業のひとつが、シドニーを拠点とする量子コンピューティング企業Diraqだ。物理学者でありエンジニアでもあるアンドリュー・ズラック(Andrew Dzurak)氏が創業した同社の取り組みは、量子コンピューティングの基本単位である数百万個の量子ビット(qubit)を、単一のコンピューターチップに搭載することから始まる。
量子コンピューティングとは何か
まずは用語を定義しよう。「量子コンピューターは量子ビット(qubit)を使い、情報をまったく異なる方法で処理する。古典的なビットは常に1か0のどちらかを表すが、量子ビットはその状態が測定されるまで、1と0の重ね合わせ状態で存在できる」とカリフォルニア工科大学のScience Exchangeは解説する。また、IBMによれば、「量子物理学を活用することで、大規模な量子コンピューターは特定の複雑な問題を、現代の古典的マシンよりも何倍も速く解くことができる。量子コンピューターは、従来型マシンなら完了までに数千年かかる問題を、数分あるいは数時間で解決する可能性を秘めている」という。
ズラック氏が思い描くのは、未来の研究者がクラウドベースのAIサービスに現在アクセスしているのと同じように、量子コンピューターにリモートでアクセスする世界だ。「私たちの構想では、量子コンピューターは大規模なAIファクトリーと並んで、データセンター環境に設置される」と彼は語った。「コストとエネルギー消費を引き下げることで、量子コンピューティングをより日常的に利用できるようにすることが目的だ」
目にすることのないマシン
量子コンピューターをリモートで扱うのには実務的な理由がある。仮に高額な価格を支払って購入する余裕があったとしても、家庭に設置できるものではないからだ。設置に大きなスペースを要するだけでなく、極低温でしか動作しない。「熱は量子コンピューターの構成要素である量子ビットにエラーを引き起こすため、量子システムは通常、絶対零度(華氏マイナス459度)をわずかに上回る温度に保つ冷却装置内に格納される」とMITは説明する。
あなたの家のサーモスタットがそこまで下がるとは思えない。だが問題ない。分散ネットワークを通じて計算能力を利用できれば、量子コンピューティングの民主化は依然として実現可能だ。今のところ、平均的な人に量子コンピューティングを聞いたことがあるかと尋ねれば、おそらく首を横に振るだろう。概念を理解している人でさえ、それはSFのように感じられ、実現するとしても数百年先の技術のように思えるはずだ。
現実はどうか
実のところ、量子コンピューティングは極めて現実的なものだ。科学者たちは量子ビットが機能することを証明してきた。今日の課題は、政府や資金力のある組織だけでなく、一般の人々もこの技術革新を利用できるよう、十分な数の量子ビットを信頼性高く、かつ費用対効果に優れた形で稼働させることだ。「量子コンピューティングが意味のある商業価値を生み出すまでには、まだ数年かかる。目指すのは我々が『実用規模』と呼ぶ段階、つまり、これらのコンピューターが所有・運用コストを上回る価値を生み出せるようになることだ」とズラック氏は説明する。
誰もが量子コンピューティングがそれほど早く到来すると確信しているわけではない。2025年1月、実用的な量子コンピューターの実現までどのくらいかかるかと問われたNVIDIAのジェンスン・フアンCEOは、15年でも「早い方」だろうと述べ、多くの人が信じる年数は20年だろうと答えた。量子関連銘柄は同日、一斉に約40%下落したとCNBCは報じている。フアン氏は2カ月後、この発言を撤回している。
量子とAIの出会い
ここで再びズラック氏の話に戻ろう。彼が語る価値の一部は、量子コンピューティングがAIと結ばれるときに解き放たれる。ここ数年、我々はエージェント型AIの台頭を目撃してきた。研究大学からフォーチュン500企業に至るまで、半自律的なAIエージェントが人間の代わりに働いている。
これらのエージェントが量子コンピューティングと組み合わされ、コンピューティングの共生関係を築けたらどうだろうか。マイクロソフトはすでにこうした協働作業に取り組んでおり、そのアプローチを「scientist in the loop(ループ内の科学者)」と呼んでいる。エージェントが助言し、研究者が意思決定を行うという意味だ。The Quantum Insiderによると、「研究者たちは、人間の監督下で大量の情報を分析し、仮説を生成し、実験を最適化し、理論を検証するAIエージェントのチームを展開できる」という。
だが、量子コンピューティングとAIから得られる恩恵は、その有用性のためにエージェント型AIに依存する必要はない。トロント大学の研究者とInsilico Medicineによる創薬研究は、ズラック氏が説明する実用段階に到達する前に、すでに何が可能かを示している。トロント大学ニュースによれば、「Nature Biotechnology誌に発表された研究において、研究者たちは量子コンピューティングと生成AIを古典的な計算手法と組み合わせ、これまで『創薬不可能』と考えられてきたKRASと呼ばれるがん誘発タンパク質を標的とする分子を作り出した」という。同研究の共同研究者であり、トロント大学テメルティ医学部ドネリー・センターの生化学・分子遺伝学教授であるイゴール・スタグリャール(Igor Stagljar)氏は、この研究の意義をこう語る。「このような計算アプローチにより、我々は創薬の前臨床段階を数年短縮できる可能性を持っている」
この成果は目覚ましいものだが、より切実な問いを投げかける。量子コンピューティングが人工知能と結びつき、より容易に利用できるようになったとき、何が起こるのか。「最もエキサイティングな領域のいくつかは、まだ誰も考えついてさえいない」とズラック氏は語る。人類が生み出してきたあらゆる素晴らしい進歩は、すべて脳内の一つのアイデアから始まったことを思えば、私たちは今から想像を巡らせておくのが賢明だろう。
医療におけるイノベーションにとどまらず、量子コンピューティングが広く普及すれば、物理学における画期的な進歩がもたらされる可能性がある。これには、アルベルト・アインシュタインをはじめとする物理学者たちが宇宙の統一理論を求めて格闘しながらも、解決できなかった難問の解明も含まれる。Google Researchが説明するように、「重力は、複雑な物理理論を探究する量子コンピューター独自の能力を示す一例にすぎない。量子プロセッサーは、時間結晶、量子カオス、化学に対する深い知見を提供できる」のだ。
懸念すべきか
もちろん、危険性に触れずして量子コンピューティングの議論を締めくくることはできない。銀行口座や核兵器のコードを保護する暗号を量子コンピューティングが破ってしまうのではないかと懸念する声もある。ズラック氏はそうしたリスクに反論する。「量子コンピューターは特定の種類の暗号を攻撃するだろう」と彼は述べる。「しかし朗報は、すでに『量子耐性』を備えた、つまり量子コンピューターによる攻撃に耐えるよう設計された多様な暗号方式が数多く利用可能だということだ」
それはその通りかもしれない。それでも、セキュリティ専門家は「今収穫し、後で解読する(harvest now, decrypt later)」と呼ばれる脅威について警戒を促している。これは悪意ある行為者が現在、暗号化されたデータを蓄積しておき、将来のいつか量子技術を用いてそれを解読しようとする手口を指す。
その日が来るか否かにかかわらず、量子ハードウェアの大量普及に向けた開発競争は始まっている。今後、我々一人ひとりがデスクトップコンピューターを所有するように、そうした装置を家庭に持つ可能性は低い。より現実的なシナリオは、ますます多くの個人や企業が、AIによって稼働・支えられた遠隔データセンターの量子コンピューターにクラウド経由でアクセスできるようになることだ。手元にこれほど膨大な計算能力があるとき、新たな重要な問いはこうなる。我々に達成できないことは何か。



