最初の本は、女性を取り巻く社会の変化について書いた『The Female Woman』(未邦訳)でした。そこで、次は毛色の異なる、「政治的リーダーシップ」をテーマに書いてみたいと思ったのです。今思えば、誰も私にそんな本を求めてはいなかったのでしょうね。でも、そのときは本当に書きたかったのです。 なので、出版社から企画を断られたときは心底驚きました。それどころか、企画書を持って回った出版社にことごとく断られ続けたのです。
もう、それこそ自己嫌悪に陥りました。ひょっとして、人生間違えちゃったんじゃないかとか、このまま破産したらどうしようって。そのうち、「もしかして、マグレだったのかも」と、1作目についてもだんだん不安になり始めました。夜も眠れず、「私なんかが、作家になってよかったのかしら」とくよくよしたものです。
すでに、デビュー作で得た印税からの収入は2作目のための取材で使い果たしていました。もうお金は残っていなかったのです。いよいよ決断を下すときが迫っていました。別の仕事を探すか、それとも作家業を続けることにイチかバチか賭けるかでした。
そんなふうに悩んでいた頃、私はロンドンで暮らしていました。ある日、ジェームズ街を歩いていると、バークレイズ銀行の前を通りかかったのです。そして、これはたまたまなのですが、「少しだけお金を貸してもらえないかな……」と思って、ふと立ち寄ったのです。すると、そこにはイアン・ベルという名の行員さんがいました。
そこからは、まさにおとぎ話のような展開! おとぎ話にはよく、どこからともなく突然、主人公を助けてくれる人が現れますが、彼がまさしくそういう人でした。なんと、融資をしてくれたのです。そのお陰で年を越すこともできましたし、別の出版社を探す元気も出てきました。私はそれまで以上に、出版社に企画書を送っては、本を売り込もうと一人でも多くの編集者に会うように努めました。
もし、融資を受けられなければ、私は間違いなく本をあきらめて別の仕事をしていたでしょう。でも、イアンが認めてくれたおかげで、本を出そうとがんばれたのです。回り回って37社―。最後の1社がようやく引き受けてくれました。
残念ながら、本はそんなに売れませんでした。でも、今から振り返ると、それは20代のときに植えられた“種”だったのだと思います。それがやがて芽吹き、40代で政治について書き始めたときに私の糧となっていました。実際、私が2冊目を書くときに考えたことの多くが、今の私の思想の原点になっています。私はその経験をもとにウェブサイトの「ハフィントン・ポスト」を立ち上げ、政治やビジネスの世界でも働くようになりました。
この経験から、私は失敗を恐れないことの大切さを学びました。人は失敗への恐れからリスクを取ることに対して尻込みしがちです。でも、それに立ち向かわない限り、自分がしたいことは絶対にできません。 最後に余談ですが、融資をしてくれたイアンには今でも欠かさず、クリスマスカードを送っています。彼は不思議に思っているかもしれませんけどね。
アリアナ・ハフィントン◎リベラル系オンラインメディア「ハフィントン・ポスト」の共同創業者兼編集長。執筆活動の傍ら、女優業にも取り組むなど、幅広く活動している。本誌の「世界で最も『元気な』女性ランキング 2015」では61位に選ばれた。