「長寿(ロンジェビティ)」は現在、バズワードであり、トレンドでもある。多くの人がその意味を理解していると考え、追求する価値があると感じている。それ自体は何の問題もない。健康に気を配り、病気を予防することは、ポジティブな目標だ。
だが、そこには転換点が存在する。
現在、私たちの寿命を延ばすことを約束する消費者向けテクノロジー、診断、治療法、サプリメント、介入策が爆発的に増加している。潤沢な資産を持つ人々にとって、長寿は最後に残された希少資源となった。「お金では時間は買えない」と昔から言われてきた。結局のところ、ここで語っているのは寿命であり、それゆえに追い求めたいという誘惑はほとんど抗いがたいものになる。
問題が生じるのは、長寿の追求が人生を支えることをやめ、逆に人生を妨げ始めるときだ。私はこの新たなパターンを「長寿執着症候群(longevity fixation syndrome)」と呼んでいる。
長寿はコントロール感をもたらす
現在の長寿への関心の高まりは、富裕層の高齢化、急速に発展する診断・治療、巨額の投資資金、そして大規模なマーケティングが重なって生じた、一種のパーフェクトストームである。
しかし、同じくらい重要だと私が考える心理的要素もある。
未来は不安定に感じられる。自分自身の生存に過度に固執すれば、それはより広範な不安を管理する手段になり得る。その意味で、長寿執着症候群は、終末に備える「プレッパー」の心理と大差ない。どちらも、コントロール不能で予測不能な未来に対するコントロール感を与えてくれる。
経済や、自分のビジネスがどこへ向かうかはコントロールできないかもしれない。だが、自分の体に何を取り入れるかはコントロールし、測定できる。
それは非常に安心できるものになり得る。安心できなくなるまでは。
最適化から執着への転換点
私はいつも、「問題になったときに、それは問題である」と言っている。
長寿を追求することや健康に気を配ること自体に、何も悪いことはない。それが、同じくらい重要で価値のある他の何かを犠牲にするようになると、問題化する。
こうした現象は、数値の追跡や治療法、介入手段に何時間も費やし、数値が少し悪化したりサプリメントを飲み忘れたりしただけでストレスを感じる人々によく見られる。
皮肉なことに、身体は何が原因でストレスを感じているかを特に気にしてはくれない。心拍変動、食事、睡眠指標に関するストレスも、やはりストレスである。
ほとんどの人は、この睡眠版を経験したことがあるだろう。午前2時で、午前6時には起きなければならず、突然、睡眠時間はあと4時間しかないと計算し始める。その考えこそが、まさにその4時間を眠りにくくするストレスを生む。
この儀式は、コントロールできる対象を与えてくれるため、当初は不安を和らげてくれる。だがそれは慢性的な警戒状態へとエスカレートし、健康を最適化すること自体がストレス要因になり得る。
慢性的なストレスを真剣に受け止めるべき生物学的理由がある。ストレス誘発性の生物学的老化に関する研究レビューは、慢性的な心理社会的ストレスを、細胞の代謝活動、DNA損傷、テロメア長、細胞老化、炎症反応などのプロセスと関連づけている。
ある時点で、長寿プロトコルが生み出すストレスは、その恩恵を上回り始める可能性がある。
長生きすることが、生きることを邪魔するとき
長寿を執拗に追求するには時間がかかり、その時間はどこかから捻出しなければならない。
厳格な食事制限のプロトコルに従っていると、友人と食事をする機会が減るかもしれない。サプリメントやウェアラブル機器からの通知は、家族や目の前に座っている相手から注意をそらすことがある。
完璧主義は問題を悪化させる可能性がある。高い成果を上げる起業家や経営幹部が職業上の成功を収める助けとなる特性は、健康に向けられると暴君のようになり得る。
プロトコルを完璧に守れないと自分が失敗したと感じ始め、さらなるストレス、自己批判、そして潜在的にはより深い孤立を生み出す。ある時点で、そのプロトコルがもたらすものより、奪うものの方が大きくなるかもしれない。
誰も売ることのできない長寿介入
ここで、長寿をめぐる議論は根本的に順序を取り違えていると私は考えている。
長寿産業は当然ながら、サプリメント、検査、デバイス、治療について語る。それらは売ることができるものだ。人とのつながりには利益率がない。
それでも、人間関係の質は、寿命と健康寿命を左右する修正可能な予測因子の中でも、おそらく最も重要なものの1つである。30万人超の参加者を含む148件の研究のメタ分析では、より強い社会的関係を持つ人は、生存の可能性が50%高いことが示された。
別の70件の研究のメタ分析では、孤独、社会的孤立、独居がそれぞれ死亡率の上昇と関連していることが示された。
超富裕層は、並外れた資産を持ちながらも、人間関係において深い貧困を経験することがある。例えば、他者が「ありのままの自分」を評価しているのか、それとも「自分の持っているもの」を評価しているのかを信じにくいといったことだ。
それは大きな孤独要因を生み得る。
1日18時間断食し、あらゆるサプリメントを摂取し、最新技術にアクセスできる一方で、配偶者と率直な会話ができない人は、必ずしも長寿に向けて最適化しているとはいえない。
フィードバックループさえ生じ得る。人間関係がコントロール不能に感じられると、長寿プロトコルは、代わりに集中できる測定可能なものを与えてくれる。だが、その執着が今度は根底にある問題をさらに深める可能性がある。
寿命だけでなく、人生に向けて最適化する
長寿へのより健全なアプローチは、驚くほど単純な問いから始まる。「私はなぜこれをしているのか」。その追求は本当に自分の健康を支えているのか、それとも直面したくない何かの代わりになっているのか。
睡眠、運動、自然な食事、禁煙、適度な飲酒または禁酒など、最も複雑さが少なく、最も大きな利益をもたらすものから始めるべきである。
同じくらい重要なのは、生物学だけでなく心理にも対処することだ。人間関係に投資する。不安、うつ、感情的ストレスに苦しんでいるなら、心理療法はまた別の厳格な長寿介入よりも大きな効果をもたらすかもしれない。
そしておそらく最も直感に反することとして、死を受け入れることだ。
自分自身の死と折り合いをつけることは、強迫的な最適化を駆り立てる慢性的な恐怖の一部を溶かし得る。それは、10年後、20年後、40年後に何が起きるかを絶えず考え続ける状態から、目的、人間関係、感謝、そして今日自分がしていることへと注意を移す助けになる。
私はこう言うのが好きだ。年月に人生を加えれば、年月はおのずとついてくる。
いまここにある人生をより豊かにする。意味のある人間関係を築く。目的を見いだす。小さなことに感謝する。
長寿産業はしばしば、実存的な問題を生物学的な道具立てで解決しようとしている。私は、その順序を逆にすべきだと考える。まず実存的な側面に取り組めば、生物学は後からついてくる。
私たちは、人生を延ばすことに没頭するあまり、その余分な年月を持つ価値のあるものにする人間関係、意味、経験をないがしろにしてはならない。



