ブリッジポート大学の学部生だったころ、プレゼンテーションに対する私の見方を一変させた授業を受けた。
その授業とは、ロシア史だ。私にとって本来それほど心躍る題材ではなかったが、コンピューターサイエンスの授業だけでは学位を取得できない。時代を淡々とたどる退屈な授業を予想し、モンゴル侵攻からポスト・ソビエト時代までの無味乾燥な事実の暗記を憂鬱に思いながら履修登録した。
ところが、この授業は驚きの連続だった。教授は文字だらけのスライドをただ次々と映したり、使い古された内容を朗読したりするだけではなかった。これ以上ふさわしい言い方が思いつかないのだが、彼は歴史を生き生きと甦らせたのだ。
これがどれほど大げさに聞こえるかは理解している。だが、彼がピョートル大帝のような格好をして教室に現れたわけでも、映画『いまを生きる』のように私たちを机の上に立たせたわけでもない。彼は普通のボタンダウンシャツとジーンズという格好で、世界中のどの大学の教授とも同じようにパワーポイントを使っていた。
この教授の魔法は、物語を紡ぐ力にあった。講義室全体が身を乗り出して聞き入るようなストーリーを、プレゼンテーションに持たせることができたのだ。
CEOとして、プレゼンをすることも聞くことも、私の生活の大きな部分を占めている。優れたプレゼンには常にいくつかの共通点があるが、そのいずれも演劇的才能を必要とするものではない。誰でも選べる要素なのだ。
内容を熟知する
スティーブ・ジョブズは、テクノロジー業界で最も優れた演説家の一人として歴史に名を残すだろう。それは生まれ持ったカリスマ性のおかげでもあるかもしれないが、彼が人一倍入念に準備をしていたことも有名だ。ケン・コシエンダは著書『Creative Selection』の中で、2003年のMacworldの基調講演に先立つ1カ月間、ジョブズがプレゼンテーションの構成を細部まで綿密に整え始めたと書いている。
「彼はゆっくりと、日ごとに、基調講演で発表したい通りにステップを踏みながらショーを組み立てていった。これがプレゼンターとしてのスティーブの成功の大きな秘訣の一つだった」とコシエンダは書いている。「彼は練習した。何度も何度も。プレゼンが磨き上げられ、完璧に頭に入るまで、素材を繰り返し反芻したのだ」
マルコム・グラッドウェルが専門性の指標として1万時間という有名な基準を掲げたのには理由がある。何かで成功するには練習が必要だ。しかし、多くのスピーカーは十分な時間をかけていない。素材を隅から隅まで知り尽くしていれば、場の空気を的確に読み、必要に応じて軌道修正する柔軟性が生まれる。
変化をつける
退屈な一本調子で行われた素晴らしいプレゼンテーションを最後に聞いたのはいつだろうか。おそらく覚えていないはずだ。というのも、十中八九、眠っていたはずだからだ。
研究によれば、多彩な話し方(音量や声の高さを調整し、絶妙なタイミングで間を置くこと)は、聴衆があなたをどれだけ説得力があると感じるかに劇的な影響を与えるという。「えー」や「あのー」といったフィラー語はインパクトを鈍らせるが、ウォートン校マーケティング教授のジョナ・バーガーは、意図的でタイミングのよい間はむしろスピーカーの印象を良くすると指摘している。「聴衆に話の内容を消化する時間を与えるだけでなく、彼らが同意を示す短い言葉で反応するよう促し、それがスピーカーへの好感度全体を高めることにつながる」と彼は説明する。
これらは習得が難しい習慣だ。私も初めてプレゼンに間を取り入れようとしたときは、違和感があり不自然に感じた。ミスに聞こえるのではないかと不安になる。しかし、うまく使えば自信を伝えられる。
フィラー語を減らすことも、最初は難しいことがある。英語は私の第二言語であり、いまだに適切な言葉を探して詰まってしまうことがあるのは事実だ。私が有効だと感じている方法は、自分を録画してどこでつまずくかを再生で確認することだ。画面上の自分を見るのは気恥ずかしいが、自分の弱点を把握するうえで最も学びの多い方法の一つだと感じている。
語るべき中身を持つ
もちろん、どれだけ準備を重ね、洗練された話し方をしても、話している内容が面白くなかったり重要でなかったりすれば意味がない。
目指すべきは、聴衆を旅に連れ出すことだ。ボリシェビキ革命に関する講義であれ、四半期決算報告であれ、人々の注意を引きつける形で構成されるべきなのは変わらない。「人間は物語を聞くようにできていることは誰もが知っており、人々を惹きつけるのに最も効果的な物語構造については比喩に事欠かない」と、TEDのキュレーターであるクリス・アンダーソンはハーバード・ビジネス・レビューに書いている。「成功した講演は小さな奇跡だ。聞き終えた後、人々は世界を違った目で見るようになる」
もちろん、すべてのプロジェクトの反省会や投資家会議が人生を変えるような体験になるわけではない。だからといって、物語として構成できないわけではない。たとえば、我々のあるチームは最近、統合機能の一つのバグを修正するアップデートをリリースした。単に「解決した」と言う代わりに、彼らはそのバグに最初にどう気づいたか、つまり一日の午後に3件もの同じ奇妙な苦情がサポートチケットとして届いたことを物語として紡いだ。それにより、単なる定例アップデートで終わりかねなかったものが、聴衆が解決に加わりたくなるミステリーへと変貌したのだ。
どれだけ興味深い話でも、プレゼンが無味乾燥ならつまらなくなる。逆に、ごく平凡なプレゼンでも、少しの時間と労力を注げばずっと面白くなる。だとしたら、後者を選ばない手はないだろう。



