面白半分にゲノムを
副次的なプロジェクトとして、マクシメンコはこのシステムをゲノミクス(ゲノム科学)に向けてみた。彼は急いで付け加えたが、ゲノミクスは「私の専門ではまったくありません」という。
今年に入り、Wellcome Leap(ウェルカム・リープ)の「Quantum for Bio(Q4Bio)」プログラムの資金提供を受けたチーム(ウェルカム・サンガー研究所、オックスフォード大学、ケンブリッジ大学、メルボルン大学の研究者を含む)が、D型肝炎ウイルスの完全なゲノムをIBMの量子コンピューターに世界で初めて読み込ませたと発表していた。
マクシメンコは公開されているゲノムデータをダウンロードし、Haiquのエージェント型システムに渡した。エージェントは主にその発表文だけを手がかりに、「論文をあまり読み込むことすらなく」、研究者たちが何をしたのかを推測し、使えそうなアルゴリズムを選び、Haiquのツールでどう符号化するかを考えた。
「驚いたことに、結果をかなり素早く再現できました」と彼は言う。システムはゲノムを読み込み、そのうえで小さな変異を加え、変異が起きるそばから追跡した。
つまり、ゲノミクスの素養のない物理学者が、最先端の生物学・ゲノム研究のプロジェクトを、ほとんど余技として、面白半分に再現してしまったのだ。同社がこれをさまざまなプロジェクトや研究分野で繰り返せるなら、科学を加速する強力なツールになる。
「量子超越性」はあとでいい、まずは「量子有用性」を
長年、量子コンピューター業界にとっての大きな節目は「量子超越性」(quantum supremacy)だった。それは、古典コンピューターでは現実的に、少なくとも妥当な時間内には不可能なことを、量子コンピューターがやってのけることだ。
この面ではいくつかの主張が出ており、有望なロードマップもある。だがマクシメンコは、それらのデモが何だったのかについて率直だ。
「あの実験がかなり人工的だったことは周知のとおりです。ある意味で、特定の数学的問題にきわめて細かく合わせ込んだものでした。有用な現実とは何の関係もない問題です」と彼は言う。これは客観的に見ても筋が通っている。量子コンピューターが何かを根本から変えた例を、私たちはまだ見ていないからだ。
本当に問うべきなのは、実際に重要な問題に取り組んでいるかどうかだ、とマクシメンコは主張する。それが「量子有用性」(quantum utility。量子コンピューターが実務上の役に立つこと)であり、Haiquがいま狙っているのはまさにそこだ。最適化、量子機械学習、そして「巨大な行列の対角化」のようなハイブリッドの高性能計算(HPC)タスク、つまり分子や材料の振る舞いを予測するために使われる大規模な行列計算である(もちろん同社は、将来的に量子超越性を達成することも目指している)。
マクシメンコによれば、量子有用性は現在の限られたハードウェアでも今日すでに実現できる。必要なのは「100〜200量子ビットで、論理量子ビットである必要はない」という。つまり、ノイズを含む物理量子ビットのままでよく、誤り訂正を施した論理量子ビットを待たなくてもよい、ということだ。多くのロードマップは、量子コンピューターが本格的に使えるようになるにはその論理量子ビットが不可欠だとしている。
一例として、HaiquはAIを使い、磁性化合物における中性子散乱をシミュレーションするアルゴリズムを作った。その結果は「私が10年ほど前に学術界で最大級のスーパーコンピューターを使ってやったことに、ほぼ匹敵していました」とマクシメンコは言う。
「量子動力学と量子化学は、いわば手の届きやすい果実だと思います」と彼は付け加える。小さな分子の動力学のシミュレーションは、量子マシンのほうが素直にこなせる。量子の問題を古典ハードウェアに写し取るための重い作業が要らず、計算にかかる時間もエネルギーも少なくて済む。
目標は「最先端の規模の、興味深い大規模なアプリケーションを、今日すでに実行できることを示すこと」だと彼は言う。「ですから、10年後の耐故障性量子コンピューターを待つ必要はありません」。
もちろん、これは大きな話だ。量子コンピューティングには、期待を煽りすぎてきた長い歴史もある。ただし、マクシメンコが言っているのは「量子は何にでも使える」ということではない。最新のLLMやエージェント型AIと組み合わせてうまく使えば、今日の量子コンピューターが従来の手段に勝てる領域が、限られてはいるが確かにある、ということだ。その分だけ範囲が狭く、検証もしやすい。


