オードリー・ルッソは、ピッツバーグ・テクノロジー・カウンシルのプレジデント兼CEOである。同団体は北米最大級のテクノロジー業界団体の1つだ。
私は、反論されるのが好きだ。
これはリーダーシップ本から学んだ姿勢ではない。私の気質であり、私は意図的にそれを土台にしてきた。会議室には、少し抵抗する人にいてほしい。確固とした意見を持ち、それを裏づける経験があり、私が突っ込んでも簡単には折れない人だ。私はそうした人たちと向き合い、議論する。そうするのは、不協和音が安全に存在できる文化のほうが、そうでない文化よりも高い成果を出すからであり、私はそれ以外の選択肢に関心がない。
だから私は長い間、多くのリーダーが直面する問題を解決できていると思い込んでいた。立場が上がるほど、耳に入る声は少なくなる。人は、まだまとまりきっていない考えを持ち込まなくなる。リーダーに渡したものは何であれ、方針になってしまうからだ。私はその罠を知っている。そのバリエーションについては、これまで2度書いてきた。そして私は、自分はそこから抜け出せる組織をつくったと確信していた。周囲の人はしょっちゅう私に反対意見を述べるし、私を恐れているようには見えなかったからだ。
気づくのに時間がかかりすぎたことがある。安全であることと、容易であることは同じではない。異議を唱えても安全な環境はつくれているかもしれない。だが、それは異議を唱えやすい環境をつくれていることを意味しない。この2つの言葉のギャップのせいで、本当に意見を聞くべき人たちの声がふるい落とされてしまうことがある。
正確さではなく、持久力を選別する文化
異議を唱えることが許される場で、うまくやれるのはどんな人かを考えてみてほしい。強い見解を持ち、それを擁護する意欲のある人はうまくやる。3ラウンドでも議論し、それを楽しむだろう。リーダーであるあなたも、それを楽しむかもしれない。そういう人たちは決して問題ではない。
では、正しいのにためらいがある人はどうだろうか。その人にあるのは、まだ論拠ではなく直感だ。何かがおかしいと薄々感じているが、まだ証明はできない。
私の会議室で異議を唱えるということは、事業運営の現場でキャリアを積み、議論に長けた相手から、その場で根拠を問われることを意味する。だから彼らは計算する。これは戦う価値があるのか。自分はこうしたやり取りで力を発揮できるのか。こういう環境でうまくやれるのか。彼らは私を恐れているわけではない。ただ疲れていたり、忙しかったり、エネルギーを費やすほど確信が持てなかったりするのだ。だから胸にしまっておく。そして、彼らが薄々感じていたことが、実は重要だったと後でわかる。
それは恐怖ではない。摩擦だ。そしてリーダーはしばしば、その摩擦を自ら組み込んでいる。自分が思っているよりも、意見を受け取る入口は狭いのかもしれない。私のところに確実に届いていたのは、自信のある人の声だった。長年の同僚の声だった。正しいがためらっている人の声は、ほとんど届いていなかった。そして、そうした人の声が届いたとき、私は本当に耳を傾け、咀嚼し、統合できていただろうか。
最近、ある同僚が会話の冒頭で、私の頭から離れない一言を口にした。「あなたに伝える役に選ばれました」
選ばれた、というのだ。あるグループが自分たちの間で話し合い、結論に達し、使者を選んだ。彼らの結論は、私たちが長く続けてきたプログラムの1つが陳腐化しているというものだった。型通りになり、創造性が乏しく、参加意欲が失われつつあり、明確な目的と本当の楽しさを取り戻す必要があった。彼らは正しかった。しかも、しばらく前から正しかった。
なぜもっと早く言ってくれなかったのかと尋ねると、私の気持ちを傷つけたくなかったのだという。私は5秒ほど絶句した。それから礼を言い、ではどうしたいのかと尋ねた。だが、彼らが誰が私に伝えるかを決めている間にも、そのプログラムはずっと漂流し続けていた。
「社歴の長さ」がもたらす功罪
私には、20年以上一緒に働いてきた同僚がいる。私はこれまで、それを文化が機能している証拠だと受け止めてきた。発言できない場所に、人はそれほど長くはとどまらない。
今でも、その見方はおおむね正しいと思っている。だが同じ事実には、もう1つの読み方も成り立つ。そして私の立場から、それを排除することはできない。25年という時間は、リーダーとどの議論をする価値があり、どの議論はそうでないかを正確に学ぶのに十分な時間でもある。あなたのことをそこまでよく知る人は、あなたのパターン、痛いところ、そしてあなたが譲らなくなる2つか3つのテーマを知っている。ある人は9つのことについてはあなたに完全に率直でありながら、10番目のことについては静かに引っ込めてしまうかもしれない。そしてあなたには、それを察知する手段がない。その会話は完全に開かれているように感じられる。おそらく、双方にとってそう感じられる。
どちらの読み方も、証拠と矛盾しない。そこが気まずいところだ。私の席から見ると、在籍期間の長さと率直さは同じに見える。
リーダーに変えられること
私は、「議論好き」と呼ばれてきた姿勢をやめるつもりはない。それが私という人間だからだ。私は理解し、学ぼうとしている。そして、それによって組織も、コミュニティも、私たちが支える企業や人々も強くなると信じている。ただし、いくつか調整はした。同じような文化を築いてきたと感じるリーダーにも、同じことを勧めたい。
• 論拠より先に、直感を明示的に求める。 何が気になっているのかをチームに尋ねることだ。あなたのために議論を組み立てることを強いない。論拠を組み立てるという要件は、私が気づかないうちに徴収していた通行料だった。
• 自分が勝ったときに注意を払う。 直属の部下とのやり取りに勝つことは、良い結果ではない。それはどちらが正しかったかではなく、議論する力の相対差を示すデータ点にすぎない。3回連続で勝っているなら、サンプルに何か問題がある。
• 静かな人を探しに行く。 あなたに立ち向かってくる人を見つける必要はない。明らかに意見を持っているのに、会議で何も言わなかった人。その沈黙こそが情報であり、たいていの場合、それが得られる唯一のシグナルだと私は学んだ。
私はこのどれについても、完璧にはほど遠い。今でもおそらく、自分で思っている以上に強く押している。それでも、「誰も教えてくれなかった」という言葉は、他者についての発言ではない。それは、私が何を不必要に難しくしていたのかについての発言であり、あなたも同じことをしているかもしれないということだ。



