先日、ポッドキャスターでありリーダーシップの専門家でもあるレリー・ナドラー博士とランチを共にした。その際、彼が何気なく発した問いが、私の心に深く残っている。「これほど多くの出来事が起きている中で、今この瞬間に、どのようにリーダーシップを教えればよいのだろうか?」
米国建国250周年にあたるこの夏は、すでに観測史上最も暑い夏の1つになっている。米国は中東で再び戦争状態にある。ロシア・ウクライナ戦争は、より死者の多い局面に入った。
7月には、中国が中西部の水道システムにハッキングしたとして非難された。多くの州では、全長1マイルにも及ぶデータセンターをめぐる対立が勃発し、中間選挙の主要争点となった。
しかし、この夏最大のニュースは、ある企業のブログに「ところで」と何気なく書かれた一文から始まった。オープンソースのAIモデルやデータセットをホストするHugging Faceは自社ブログで、「これまでに経験したことのないような」サイバー攻撃の標的になったと発表したのだ。
やがて、その攻撃の実行者が、意図せずしてOpenAIであったことが判明した。同社が安全だと考えていた実験は、実際には全く安全ではなかったのだ。OpenAIのエージェントが「サンドボックス(仮想環境)」を脱出し、他のエージェントと共謀してハッキング行為を繰り返し、人間の監視や制御をほぼ完全にすり抜けていた。「これは、遠い未来のものと考えられていたAI能力を示す、驚くべき、かつ警戒すべき実証となった」と、テックジャーナリストのディラン・フリードマンはニューヨーク・タイムズ紙で指摘している。
どうやら「加速の時代」は、夏休みを取るつもりはないらしい。
この猛暑の8月の裏には、より大きな問いが潜んでいる。これらすべてを管理しているのは誰なのか。そして、すべてはどこへ向かっているのか。「私利私欲を肥やす技術」とも呼ばれる事態の中で、ロイターとイプソスによる世論調査では、米国人の65%がドナルド・トランプは権力の座に戻って以降、不適切に利益を得ていると考えていることが示された。その一方で、私たちの技術的な能力と、道徳的かつ先を見通すリーダーシップを発揮する力との隔たりは、広がり続けている。
突如として、政府や産業界のリーダーたちは、かつてない世界を部下たちが進んでいけるよう支えるという、前例のない課題に直面しているように見える。人間のアイデンティティ、職場の混乱、突然の個人的な陳腐化、そして道徳的・倫理的価値観は、いずれも未定である。古い秩序は死にゆき、新しい秩序は生まれようともがいている。希望と絶望の間に立つ唯一のものは、効果的で価値観に根差したリーダーシップである。
未来学者でありイノベーションの「グル」として過ごした年月の中で、私は偉大なリーダーたち、そして偉大なリーダーシップの教師たちが行動する姿を観察する幸運に恵まれた。ドラッカー、コッター、ベニス、バーンズ、ピーターズ、コヴィーなど、リーダーシップ分野の巨人たちと「同じ壇上に立ち」(講演者の言い回しだ)、彼らの著作を貪るように読んだ。
ある意味で、私は自分の成功をこれらの巨人たちに負っている。彼らは私に、より高みを目指し、自分より他者を優先し、願わくは「サーバント・リーダーシップ」を実践するよう促してくれたからだ。
私が個人的に最も敬愛する思想的リーダーの1人が、1980年代初頭にインタビューしたウォーレン・ベニスだった。On Becoming a Leader(リーダーになる)のような実践的な著作で、ベニスは記憶に残る言い回しによって、リーダーとマネジャーの違いを教えた。「マネジャーは物事を正しく行う。しかし、リーダーは正しいことを行う」。私はつい「些末なことに力を注いでいる」自分に気づくことがあり、その言葉が進むべき方向を保つ助けになった。
政治学の分野から現れたジェームズ・マグレガー・バーンズは、対極的な2つのリーダーシップ・スタイルである「取引型(トランザクショナル)」と「変革型(トランスフォーメーショナル)」を提唱し、世界を席巻した。バーンズの著作は思想的な革命を引き起こした。リーダーシップ養成機関が設立され、ビジネススクールで教えられるようになり、あらゆる組織がさらなる高みを目指して変革を促されたのだ。
しかし今日、状況は一変している。ワシントンでは、取引型のリーダーシップが幅を利かせている。私たちは「ウィン・ウィン」の関係から、弱肉強食の世界へと移行してしまった。大統領顧問のスティーブン・ミラーはCNNで次のように断言している。「国際的な礼儀作法だ何だと好きなだけ語ることはできる。しかしジェイク、私たちが生きている現実の世界は、強さによって支配され、力によって支配され、権力によって支配されているのだ」
シリコンバレーが取引主義を受け入れるのは、別の理由からだ。ビッグテックの暗黙の了解は、人と人とのあらゆる交流や、古き良き対面での関わりの機会はすべて「時代遅れ」だということだ。効率性と公益のために、すべてがデジタル化され、単なる取引へと還元され、テックプラットフォームによって収益化されるべきだとされている。葬儀の計画、パートナー探し、会議の準備、人生の設計。何をしようとするにせよ、それを自動化し、単なる取引へと還元するのだ。エージェント(AI)に丸投げして処理させ、時代に取り残されないようにしよう、というわけだ。
幸いなことに、新世代のリーダーシップ専門家たちが声を上げ始めている。彼らは、人間らしさが奪われ、デジタル化され、ますます魂を失いつつあるこの環境を整理し、私たちが進むべき道を指し示し始めている。その1人が、元米空軍の戦闘員であり、エグゼクティブアドバイザー、そしてRe-Placed: Answering the Call of Leadership in the Age of AI(リプレイスド:AI時代にリーダーシップの使命に応える)の著者であるカリ・ゼラーだ。
同書でゼラーは、世界における自分たちの居場所の基盤が崩れるときに生じる、脆弱性の深い危機を取り上げている。「あなたとあなたの人々は、生活のあらゆる側面でますます増大する複雑性を経験しており、その結果として不確実性と不安の度合いもいっそう高まっている」とゼラーは指摘する。
これこそが、変化がもはや線形(直線的)ではなく指数関数的であるこの時代における、リーダーシップの課題そのものなのかもしれない。ゼラーが主張するのは、次の四半期をどう管理するか、最新のAIツールをどう使いこなすか、あるいはシステムからさらなる効率性をどう絞り出すかということではない。足元の地面が揺れ動く中で、いかにして「完全に人間であり続けるか」ということなのだ。
ここで、ナドラーのシンプルに見えて奥深い問いに戻る。今この瞬間に、どのようにリーダーシップを教えればよいのか。それはおそらく、リーダーたちに「実際にリードする」ことを思い出させ、過去のリーダーたちが同様の岐路において残した豊かな教訓を吸収させることだろう。今は、私たちの判断を他者にアウトソーシングしたり、主体性を放棄したり、あるいは個人の利益のために私たちを分断しようとする人々を称賛したりしている場合ではないのだ。



