「ミクロとマクロの非対称性」という発想
しかし、なぜAIと人間の世界を知る方法の違いが重要なのでしょうか。ひとつは、生成AIが信じられないほどの「知力」をもち、人間は否が応でもその仕組みを理解する必要が出てきたためです。
生成AIはあらかじめ何らかの論理をもち、その正しさを証明するために活動しているのではありません。膨大なデータを解析し、そこからパターンを見出しているにすぎない。にもかかわらず、こうしたAIによる「知」の獲得方法が有効だとされている背景には、物理学における大きなパラダイム・シフトがあります。
量子力学が生まれるまで、「物理学の標準モデル」とは次のような考え方でした。ある物質の正体(世界)を見極めるためには、その物質を形成している要素を発見し、その振る舞いや法則を解明すればよい。これは「要素還元主義」とも呼ばれています。しかし量子力学の発展とともに、実は自然界はもっと複雑であり、「要素還元主義」だけではその全貌を解明できないという考え方が、主流となってきたのです。
私は量子力学についてはまったくの素人ですが、次のように言い換えられると考えます。どのような物質(マクロ)でも、ミクロの要素に還元することで説明できる。しかし、ミクロの要素を集めても、元の物質と同じものはつくれない。これを「ミクロとマクロの非対称性」と言います。
それはなぜなのか。ミクロの要素同士が組み合わさることで互いに影響を及ぼし合い、足し算を超えた「相乗効果(シナジー)」や「複雑性」が生じるからです。こうした要素間の相互作用によって、個々の解明からは決して予測できなかった「まったく新しい全体像」が突如として浮上してくる現象を、本書では「エマージェンス(立ち現れ)」と呼んでいます。
マクロからミクロの流れは理論的に説明できても、ミクロからマクロへの流れは予測できない。とすれば、ミクロの集合からどのようなマクロが立ち現れるかは、現実のデータを解析し、どのようなパターンが実際に生まれるかを観測する以外に知る方法はないということになります。まさに、生成AIがやっていることです。
なぜ「やってみなはれ」が重要なのか
「やってみなはれ。やらなわからしまへんで」。これはサントリーの創業者、鳥井信治郎氏の言葉ですね。これがなぜ大事なのか。それは、ミクロの試みからどのようなマクロ的結果が得られるかは多くの場合、「やってみなければわからない」からです。
最近の風潮として私が感じるのは、企業経営がミクロレベルでの管理中心になっているのではないかということです。大きな企業組織をうまく運営していくためには、組織を分割し、それぞれの業績を最適化する必要があります。事業部制から始まり、ジョブ型雇用のような個人単位の成果主義が導入されています。このように大きな組織を分割して管理することは必要不可欠でしょうが、それだけでは企業のダイナミズムは生まれない。「やってみなはれ」のように、一見いい加減なことをいう人間は、排除されてしまいます。
ミクロからマクロの結果を予測することはできない。これが本書の主張のひとつですが、企業経営にも当てはまるのではないか。つまり、さまざまな組織、個人が協業することでダイナミックなシナジー効果を生み出す「シナジーコア戦略」(早稲田大学沼上幹教授)が、もっと試みられてもよいのではないか。そういうことを考えさせられました。

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中谷 巌(なかたに・いわお)◎1942年、大阪府生まれ。経済学者。65年一橋大学経済学部卒業後、日産自動車に入社。69年に休職してハーバード大学大学院に留学し、73年経済学博士号(Ph.D.)取得。大阪大学教授、一橋大学教授、三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長(2020年退任)等を歴任。小渕内閣の「経済戦略会議」議長代理を務めるなど、政府の政策立案にも深く携わった。現在は不識庵代表取締役会長としてリベラルアーツ研修事業に従事。『資本主義はなぜ自壊したのか』(集英社インターナショナル)『入門マクロ経済学』(日本評論社)など著書多数。


