金稼ぎのためのつくり話と主張
とはいえ、この裁判にたどり着くまでの道のりもまた、長く曲がりくねっていた。公判は当初2024年6月に始まる予定だったが、被告の弁護団交替や、精査すべき証拠の膨大さを理由に、二度、三度と延期を重ね、最終的に2026年8月へとずれ込んだ。
その間、弁護側は次々と手を打ったが、ことごとく退けられている。過去のインタビューで免責を得ていたはずだという理由での起訴取り下げの申し立ては却下され、深夜の家宅捜索で得た証拠を排除せよという主張も認められなかった。そして最大の争点だった回顧録まで、証拠として法廷に持ち込まれることが決まった。
そして2026年8月10日、ついに裁判が幕を開けた。数日がかりの選任を経て陪審員が確定し、8月17日から証言が始まった。検察は2週間ほどかけて20数人の証人を立て、デイヴィスの数々の「告白」を軸に、甥への暴行の報復として彼が銃を用意し、2パックとシュグ・ナイトを「狩りに出た」のだと主張した。
対する弁護側が呼んだのはわずか3人の元警察官で、被告本人は証言台に立たなかった。弁護人は、デイヴィスの発言は金目当ての「つくり話(フィクション)」にすぎず、彼を現場に結びつける確かな物証はないと反論した。
そしてこの8月31日、双方の最終弁論のあと、陪審はわずか3時間ほどの評議で「有罪」という答えを出した。凶器使用を伴う殺人罪である。事件から30年、この殺人で有罪を宣告された人間は、ドゥエイン・デイヴィスが最初で最後の1人となった。量刑は今後言い渡されるが、最も重ければ終身刑が待っている。
沈黙が事件を27年守り、饒舌が1冊の本となって彼を法廷に引きずり出した。街の掟に従って口を閉ざした者たちは裁かれず、掟を破って口を開いた者だけが裁かれた。
ドゥエイン・デイヴィスは最後まで無実を主張し、かつての「告白」は家族のために金を稼ぐためのつくり話だったと言い張った。だが陪審は信じなかった。皮肉なことに、彼を有罪へと導いた最大の証人は、検察でも目撃者でもなく、饒舌だった彼自身である。
この1件は、1つの重い問いを残す。人は、語ることでしか歴史に名を刻めない。しかしその同じ言葉が、いつか自分を裁く証拠となる。栄光と破滅は、案外、同じペンの先から生まれるのかもしれない。
不謹慎ではあるが、ひさしぶりの「トランプ以外」のトップニュースに、当地ラスベガスはどこのカフェに行ってもこの話題でもちきりで、大爆笑に包まれている。


