2パック殺害事件を自伝で語った男に30年ぶり有罪の評決が下る

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事件には東西ヒップホップの抗争

そもそも、この事件は1件の殺人という枠にはとうてい収まらない。1990年代のヒップホップを二分した、東海岸と西海岸の抗争の象徴として語り継がれてきたからだ。

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西の2パックに対し、東にはライバルのザ・ノトーリアス・B.I.G.(ビギー・スモールズ)がいた。そして2パック殺害のわずか半年後、そのビギーもロサンゼルスで同じように銃撃されて命を落とした。

2人の死は、まるで対になった悲劇のように結びつけられ、無数の陰謀論まで生んだ。東海岸のレーベルであるバッド・ボーイ・レコードを率いていた「ディディ」ことショーン・コムズの名前までが、真偽の定かでないまま黒幕として繰り返し取り沙汰されてきた。

事件は事実の解明を待つうちに、いつしか「伝説」へと姿を変えていったのだ。しかし、その伝説の陰で、置き去りにされた人たちがいる。2パックの母親は生前、警察に息子の事件を解決する気など最初からなかったと語気を強めて語っていた。

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華やかな伝説として消費される一方で、遺族はただただ真相と決着を待ち続けていた。27年という歳月は、1人の若者の死が伝説になり、言わばその神話がようやく法廷に戻ってくるまでに要した時間でもある。
ともかく、この事件の真相解明が長らくされてこなかったのは人々の沈黙だった。そして、その沈黙を最初に破ったのが、ほかならぬ加害者側の人間だったのだ。

今回の「喋りすぎた男」デュエイン・デイヴィスは、2000年代末、麻薬捜査の対象となり自らの果たした役割を当局に語り始めた。やがて2010年代後半になると、テレビのドキュメンタリーやインタビューで、過去の関わった事件を武勇伝のように公然と語るようになった。

極めつけが2019年の回顧録である。ラスベガスという街を仕切った男としての半生を、誇らしげに綴ったその本の中に、彼は自分の首を絞める一文を残していた。

2パック殺害事件の折、銃撃した車の後部座席に銃を「放り込んだ」――そう読める記述があったのだ。休眠状態だった当局の捜査を再び動かしたのは、新しいつかんだ証拠ではなく、このデイヴィスの「自慢話」だったのだ。

もっとも、警察がすぐに飛びついたわけではない。当局はむしろ、彼に語らせ続けた。喋れば喋るほど、本人が自分に不利な材料を積み上げていく。それを黙って集めながら、機が熟すのを待ったのだ。

事件当時の捜査員の多くはすでに引退し、事情を知らない新しい世代の刑事たちが、新しい保安官のもとで古い箱を開け直した。そして2023年、警察はデイヴィスの自宅を家宅捜索し、まもなく彼を逮捕する。事件から27年後のことだった。

ここに、この事件の最大の皮肉がある。彼は自分の名前を売るために語り、自伝まで書いた。だが検察は、その言葉をひと言残らず拾い集めていた。弁護側は、当然、本や供述を証拠から外すよう求めた。

これに対する検察の主張は、冷徹なほど的を射ている。被告は自分の告白を商品として売り出しておきながら、いざ法廷では「あれは内緒にしてくれ」と言うことはできない、と。ラスベガスの法廷の判事はこの理屈を認めた。

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文=長野慶太

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