創業100周年を迎えた中外製薬。「患者中心」を最優先の価値観に掲げる同社は、その価値観を原点に独自の創薬力で革新的な医薬品の創出に挑み続けてきた。患者に真に価値ある医療を届けるために挑戦を続ける同社の根底にある経営哲学を紐とく。
「創業から100年、変わらずにもち続けているのは患者さんへの思いです」
関東大震災で多くの人が薬不足に苦しむ姿を見た創業者・上野十藏が、「世の中の役に立つくすりをつくる」との志で1925年に中外製薬を創業した。社名には、日本の“中”から“外”へ創薬の力を広げる思いが込められている。その志はぶれることなく、コアバリューの筆頭「患者中心」へと受け継がれ、「全社員の働く意義そのものになっている」と、代表取締役社長CEOの奥田修(写真。以下、奥田)は言う。
中外製薬はこれまで、有効な治療法が十分にない「アンメットメディカルニーズ」の解決に挑み続けてきた。原動力となってきたのは、患者一人ひとりに向き合い、人生をより良いものにしたいという強い思いだ。そして、中外製薬が創出しようとする価値は、病気の治療にとどまらず、患者さんやご家族の日常、さらには社会全体へと広がっていく。
「患者さんにとって真に価値のあるものは何かを考えると、私たちは治療効果だけでなく、その先にある生活の負担や社会への影響にまで目を向けなければなりません。患者さんやご家族が自分らしく生きられる状態を実現していく。そのような価値の創出まで見据えて取り組んでいきたいと考えています」
必要なのは、革新的な医薬品とサービスを生み出し続けること―連続的なイノベーションだ。それはどこから生まれるのか。奥田の答えは明快だ。「やっぱり、ひと」。
イノベーションの源泉は「やっぱり、ひと」
その原点には、奥田自身の経験がある。中外製薬は2002年、スイスの製薬大手ロシュと戦略的アライアンスを開始。筆頭株主に迎えつつ上場と自主独立経営を維持する、世界的にも珍しいモデルだ。その縁で奥田はアイルランドのロシュ子会社社長を務めた経験をもつ。行ったこともない国で、経験のない営業部門を率いる。頼れるのは「ひと」だけだった。
「会社は組織ですが、その主体は一人ひとりの社員です。一人ひとりの能力や経験、コミュニケーション力をどう生かすか―それが組織として成果を出すためにいちばん重要だと、その時に強く実感しました。イノベーションも同じで、発想はひとりから生まれても、それを実行に移すにはチームの協力が要る。目指す方向が同じなら、人は自然と集まってくる。結局は、ひとなんです」
革新的なイノベーションはひとりでは生まれない―。だからこそ奥田はCEO就任以降「チーム経営」を掲げ、多様な経験や専門性をもつ人財が率直に意見を交わし、共創しながら意思決定することを重視してきた。
「ひとりで決めれば間違うこともある。9人で意見を出し合えば失敗は少ないし、『やってみよう』と力を合わせられる」
挑戦する「ひと」が「患者中心」と結びついた象徴的な事例がある。治療を受けながら生活する患者と家族の負担軽減を目指し、中外製薬は、抗体がふたつの異なる標的に同時に作用する独自の技術「バイスペシフィック抗体」の研究開発に挑んだ。実用化までに10年以上を費やしたが、治療と生活の両立を信じ、現場から「諦めよう」という声は出なかった。
「長年取り組んできた研究の成果が見えた瞬間、開発メンバーが涙を流したと聞いています。患者さんに薬が届き、その価値を実感することが、次の薬を生み出そうという何よりの原動力になるんです」
患者に真に価値のある医薬品だけを届ける―この価値観を規律に高めたのが、研究開発哲学となっている「Quality-Centric(クオリティセントリック)」だ。臨床段階に進む前に活性や安全性、安定性等を徹底的に見極め、最も質の高い分子だけを厳選する。その徹底ぶりは、画期的な薬の承認を迅速化する米FDA(食品医薬品局)の「Breakthrough Therapy Designation(BTD)」指定の実績にも表れる。
「2010年以降、BTDを9回獲得し、8つのグローバル医薬品の商用化を実現してきました。創業からの一貫した思いが、世界的な評価につながっているのです」
成果は経営指標にも表れる。売り上げ収益は01年の1,651億円から25年には1兆2,579億円と約8倍に、時価総額は約41倍に成長。患者中心を起点としたイノベーション創出が、企業価値の向上にもつながっている。そして、投資判断もまた、患者起点だ。
「研究開発の初期投資は、患者さんのニーズを満足させるコンセプトとそれを裏付けるサイエンスのデータで判断していきます。開発初期の段階では、売り上げのポテンシャルを正確に予測することは容易ではありません」
25年は開発中の5プロジェクトを中止。優先順位をつけ、有望なものに人と資本を集中させるためだ。
「質の高いパイプラインこそが、結果的に患者さんに薬を届ける可能性を高めると考えています」
次の100年を、「つながる力」で
近年、遺伝子治療や細胞治療といった新たなモダリティ(治療法の手段)やAIの活用が急速に広がり、創薬を取り巻く環境は大きく変化している。それでも、患者を中心に据えたイノベーションの主役は最後まで「ひと」であり続けると、奥田は言い切る。
「0→1の発想は、人のなかから生まれてくるものです。生みの苦しみの過程で、仲間を集め、つながりのなかでやり抜くのも、人だからこそできること」
その可能性を新たな価値へ結実させる鍵として、奥田が挙げるのが「つながる力」だ。
「世界には、私たちとは異なる専門性や知見、経験をもつ人たちが数多く存在しています。そうした多様な強みをもった人と人がつながり、互いの力をかけ合わせて共創できるようになれば、その可能性は5倍にも10倍にもなっていきます」
中外製薬は23年に米国ボストンにベンチャーファンド(Chugai Venture Fund)を設立し、さらに2026年にはサンフランシスコにパートナリングオフィスを設け、アカデミアやスタートアップ、パートナー企業とのオープンイノベーションを加速。中外製薬が追求するのは単なる技術の獲得ではなく、異なる強みをかけ合わせる「共創」だ。だからこそ、相手から「組みたい」と思われる独自の創薬力を磨き続けてきた。
奥田は、100年後のありたい姿として「宇宙最強のイノベーション集団になる」と社内に発信している。なぜ“宇宙”なのかと問うと、「“外”の範囲が、これからどう広がっていくかは未知数でしょう」と笑う。
「100年後の世界は、誰にも想像できない。地球の外でイノベーションが起きている可能性だってあります。次は宇宙まで視野に入れるほど、チャレンジの範囲を広げていくという意志を込めているんです」
患者中心を原点に、世界中の知と技術をつなげてイノベーションを生み出し続ける。目指すのは『中外と組めば、何か新しいものを生み出せる』と思われ、何より『中外なら新しい治療法を生み出してくれる』と世界中の患者や社会から期待され続ける会社だ。
最後に、奥田はこう締めくくった。「中外はこれからも、連続的なイノベーションを生み出し続ける会社でありたい。中外ならではの医薬品を生み出し、日本と世界中の患者さんに届け続けていきます。そのために、“人とつながる力”の価値は、ますます高まっていくと確信しています」
中外製薬
https://www.chugai-pharm.co.jp/
おくだ・おさむ◎中外製薬代表取締役社長兼CEO。1987年に中外製薬入社。2011年にロシュ・プロダクツ・アイルランド社長を経験し、営業本部オンコロジーユニット長、経営企画部長などを歴任。20年に代表取締役社長兼COO、21年より現職。



