早稲田大学ビジネススクール教授として経営戦略やグローバル経営を研究する一方、複数の企業で社外取締役を務め、多数のメディアでも経営学の知見を発信する入山章栄。
著書『世界標準の経営理論』などを通じ、世界の経営学を日本のビジネスパーソンへ届ける第一人者だ。しかし、若い頃から経営学者を目指していたわけではない。博士号を取得するために米国への留学を目指した理由も、「海外に住んでみたい」という直感だった。
「成し遂げたいことなんて、今も昔もない」。そう断言する入山は、どのようなU30時代を過ごしたのか。「Forbes JAPAN 30 UNDER 30 2026」のアドバイザリーボードを務める入山に、現在につながる原体験と、若い世代へ伝えたいことを聞いた。
“勝てる場所”を選んだ高校時代
僕のU30時代を振り返ると、ずっと「人と同じ道を選ばない」人生だったと思います。もともと定番や王道が好きではない。それに、どうせ努力するなら結果も出したいんです。
たとえば部活。中学では野球部でしたが、高校ではハンドボール部を選びました。野球やサッカーのようなメジャースポーツは競技人口が多く、進学校の生徒が一生懸命練習しても、なかなか勝てません。
一方、ハンドボールはマイナースポーツなので、頑張れば勝てる可能性がある。実際、僕たちのチームは東京都ベスト16まで進みました。
高校の球技大会でサッカーをしたときも同じです。サッカー部の選手ばかりが活躍し、僕はボールにすら触れない。だったら、誰もやりたがらないキーパーをやればいいと考えました。足ではなくても、手でボールに触れますから。
この性格は、その後も変わっていません。30歳で米国へ留学したときも、日本人が多く進んでいた経済学ではなく、当時日本人がほとんどいなかった経営学の博士課程をあえて選びました。結果的に帰国するころには、海外で経営学の博士号を取得した日本人が珍しかったこともあり、さまざまな大学から声がかかりました。
自分の希少価値を高めようと計算していたわけではありません。ただ、人と同じことをやりたくなかった。それが結果として、自分にしかない道につながったのだと思います。
やりたいことなんてなくていい
高校3年のインターハイ予選で部活動を終えると、完全に燃え尽きました。本来なら大学受験に切り替える時期ですが、僕は学校へ行かず麻雀付けの日々。一浪してなんとか慶應義塾大学経済学部に入りましたが、最初の2年間はとにかく大学になじめない。正直、経済学にもほとんど興味がありませんでした。
転機は3年生のとき。ゼミの説明会で、当時米国から帰国したばかりだった、国際貿易論や開発経済学を専門とする木村福成先生に出会いました。



