経済・社会

2026.09.08 08:46

次なるフロンティアは「女性を部屋に入れる」ことではない。「より良い部屋を作る」ことだ

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オリヴィア・ロドリゴによる女性アーティストだけの音楽フェスティバル「デイジー・チェーン・フィールズ(Daisy Chain Fields)」が、2026年8月29日に開催される。すでに完売しているこのフェスティバルのチケットは250ドル(約3万円)からで、現在はキャンセル待ちの状態だ。出演ラインナップには、チャペル・ローアン、ドイチ、ミツキ、ビキニ・キル、ザ・ブリーダーズが名を連ね、スペシャルゲストとしてサラ・マクラクランとスティーヴィー・ニックスが登場する。

マクラクランの参加は、ロドリゴへのバトンタッチを象徴している。マクラクランが1990年代後半に「リリス・フェア(Lilith Fair)」を立ち上げたのは、当時、女性アーティストがまったくブッキングされなかったからだ。ラジオは女性アーティストを2曲続けてかけようとせず、プロモーターも女性がツアーを完売させられるとは信じなかった。しかしそれはロドリゴの問題ではない。彼女は3枚のナンバーワンアルバムを持ち、今回のフェスにもキャンセル待ちが出ているのだから、ツアーを完売させることに苦労しているわけではないことは明らかだ。

キャンセル待ちが発生しているのは、女性たちが素晴らしい音楽を聴きたいからだ、と結論づけるのは容易だ。しかし、人々がデイジー・チェーン・フィールズに押し寄せるのには、もう1つの、おそらく無意識的な理由があると筆者は考えている。

女性たちは単に素晴らしい音楽を聴く機会だけでなく、それ以外の何かを購入しているのではないか。それは「自分がその場を監視しなくてもよい場所にいる」という体験だ。

入り口に目を配る必要がなく、自分がどう見られているかを気にする必要もなく、発言する前に自分自身を検閲する必要もない。これは神経系にとって大きな解放となる。わずか数時間の間、彼女たちのすべての注意力を、本来の目的である音楽に向けることができるのだ。

これは決して些細なことではない。そして、その理由を説明する優れた研究が存在する。

評価されることの代償

2003年、心理学者のトニ・シュメイダーとマイケル・ジョンズは、ステレオタイプ(固定観念)が人の思考能力にどのように影響するかを理解するため、一連の実験を行った。その結果は極めて興味深く、ロドリゴのフェスティバルがチケット完売に至った背景にも通じるものがある。

研究者たちは、ステレオタイプがパフォーマンスを損なうかどうかだけに関心があったわけではない。損なうとき、認知的に何が起きているのかを理解したかったのだ。

実験の1つでは、女性の参加者全員があらかじめ知っているステレオタイプ、「男性は女性よりも数学が得意である」という点に焦点を当てた。また、女性たちはこの実験の一環として、最終的に難しい数学のテストを受けることも知っていた。

この研究には28人の女性が参加した。一部の女性は男性2人と男性研究者のグループに配置され、他の女性は女性2人と女性研究者のグループに配置された。

そこで研究者たちは、1つの小さな違いを導入した。

男女混合グループの女性たちは、研究者が「男女間の差異」に関心を持っていると告げられた。一方、全員が女性のグループの女性たちは、単に「大学生を対象とした研究」であると告げられた。

これが実験の第一部である。

実験の第二部では、各参加者が個室に入り、ワーキングメモリ(作業記憶)のテストを受けた。ワーキングメモリとは、別の作業をしながら情報を一時的に保持するために使用する頭の中の作業スペースのことだ。これがあるからこそ、複雑な会話についていったり、買い物リストを頭の中で保持したり、複数の指示を覚えたり、課題の処理中に一部の情報を頭に留めておいたりすることができる。

このタスク自体は性別や数学とは一切関係なく、単なる単語の想起テストだった。

その差は顕著だった。男性2人と男性の実験者がいるグループにいた女性たちが思い出した単語は約27語だったのに対し、女性2人と女性の実験者がいるグループの女性たちは約39語を思い出した。

そして、実験の最終段階である数学のテストが行われた。

男性と同じグループになり、研究が「男女の差異」を調べていると告げられた女性たちは、問題の約49%に正解した。一方、対照群(全員女性のグループ)の女性たちは、約66%に正解した。

ここで最も重要なのは、混合グループの女性たちが、より強い不安を感じたと報告しなかったことだ。彼女たちはパフォーマンスが低下するとは思っておらず、女性であることを理由に評価されることを特別懸念してもいなかった。実際、性別が自分に影響を与えていることに気づいてさえいないようだった。それにもかかわらず、タスクに必要なワーキングメモリの容量が何者かによって消費されていたのだ。

これは特異な結果ではない。シュメイダーとジョンズは一連の実験を通じて、女性と数学に関する否定的なステレオタイプを意識させることが、女性が目の前のタスクを遂行するために使える脳の認知的スペースを減少させるという証拠を発見した。

しかし興味深いのは、単に女性のパフォーマンスが低下したことではない。なぜ低下したのか、ということだ。

彼女たちの知能が低下したわけでも、知識を忘れたわけでもない。その場の状況の何かが、本来なら作業自体に使うことができたはずの精神的スペースを占有していたのだ。

そして、この知見は実験室の外、つまり現実世界においても極めて示唆に富んでいる。誰かがベストのパフォーマンスを発揮できていないとき、私たちはその本人に目を向け、「この人に何が起きているのだろう」と問いがちだ。

おそらく私たちは、その「部屋(環境)」に目を向け、別の問いを投げかけるべきなのだろう。

「その人が本来すべき仕事の邪魔をしている環境要因は何か」という問いだ。

警戒することの代償

上記の研究は、女性が周囲を警戒する理由の1つとして、「どのように評価されるかを意識すること」を取り上げた。しかし、私たちの注意力を奪い合う要因は他にもある。その1つが、身の安全に対する懸念だ。

世論調査会社のギャラップは1965年以来、人々に対して「自宅から1マイル(約1.6キロメートル)以内に、夜間に1人で歩くのが怖い場所はありますか?」という同じ質問を投げ続けている。直近の調査では、男性の20%に対し、女性の41%が「ある」と回答した。ギャラップがこの世論調査を実施してきた60年間、この約2対1という比率はほとんど変化していない。1982年には女性が64%、男性が31%だった。2010年には50%と22%だった。数値は時代とともに上下しているものの、男女間の格差は一貫して存在し続けている。

このような警戒行動は、夜間に1人で歩くときだけに限られない。多くの女性にとって、ルートの選択、背後に誰がいるかへの注意、駐車場での安全確認、帰宅時の連絡といった行為は日常的なものだ。これらすべての確認作業は注意力を要し、精神的な負担となる。脳は、本来の目的とは異なる何かに注意を奪われているのだ。

女性の抱く恐怖が実際の危険度に見合っているかどうかという議論もあるが、それは本質的に別の問題だ。なぜなら、脅威が実際に発生するかどうかにかかわらず、確認行為は行われるからだ。そして、その確認行為自体が注意力を必要とする。

部屋が変わると何が起きるか

会議を主宰する、あるいはそれ以上に、人々を率いる立場にあるすべてのリーダーにとって、ここからが興味深い部分となる。

プリンストン大学とブリガムヤング大学の研究者たちは、人々を小グループに分け、共同で意思決定を行うよう求めた。その際、誰が発言しているかを記録した。

94のグループ、計470人を対象とした調査で、同じ現象が繰り返し見られた。グループ内で女性が1人だけの場合、彼女の発言量は自身の本来の割り当て分を大きく下回った。一方、グループ内で男性が1人だけの場合、その男性は他のメンバーと同程度に発言した。グループの構成員が変わっても、このパターンは変わらなかった。すなわち、「少数派であること」は女性の発言量を変化させたが、男性には同様の影響を与えなかった。

そこで、研究者たちは1つのルールを変更した。

グループの意思決定を多数決で決めるのではなく、全員一致(満場一致)を義務づけたのだ。この1つの変更が、発言する人物を変えた。全員の合意が必要となると、それまで少数派だった女性たちも、周囲の男性と同等に発言するようになった。

その場にいた誰も、特定の誰かを沈黙させようとしたわけではなく、誰かを意図的に巻き込もうとしたわけでもない。ただ「部屋の構造」が変わったことで、その中での行動が変化したのだ。

論文の著者たちは、学校の委員会、企業や非営利団体の取締役会、議会の委員会など、現実世界の多くの組織が同様の条件下で運営されていると指摘している。つまり、女性が少数派であり、多数決で物事が決定されるあらゆる場である。

企業は、人々をよりレジリエントに、より自信を持たせ、より優れたコミュニケーターにし、経営陣の前でより洗練された振る舞いができるようにするため、莫大な資金を投じている。それらはすべて非常に有用である。

だが、そのどれもが、これらの研究が明らかにしたことには対処していない。

女性に対してレジリエンスや自信、優れたコミュニケーション能力を求めることはできる。だが、時として私たちは彼女たちに対し、そもそも適切に設計されていない「部屋」で成果を出すために、過度な努力を強いているのではないだろうか。

研究者たちも、誰かを不利にする意図はなかった。彼らは単に、グループが意思決定を行う際のルールを変更しただけであり、それに伴って人々の行動が変化したのだ。多数決のルールには、性別に関する明示的な記述は一切ない。書面上は、同じルールが全員に適用される。しかし、女性が少数派である環境においては、そのルールが彼女たちの参加度合いに影響を与えていたのだ。

大半の職場には、こうしたルールが溢れている。それらは公平であるように設計され、書面上も公平に聞こえるかもしれない。しかし、実際の部屋の中で、それらのルールが人々にどのような影響を与えているかを誰も検証しなければ、一部の人々が単に参加するだけのために、どれほどのハードルを乗り越えさせられているかを見過ごしてしまう可能性がある。

フェスティバル自体が本質ではない

デイジー・チェーン・フィールズが提供するような、女性が周囲を警戒する時間を減らせる体験は、ほとんどの職場で再現できるものではない。しかし、それは本質的な問題ではない。

私たちの生活を形成する「部屋」とは、このフェスティバルのように1日だけ訪れる例外的な場所ではない。会議室、Zoomでの通話、Slackのチャンネルなど、私たちが毎日出向く場所のことだ。私たちは通常、そこに誰がいるかを選ぶことはできないし、ロドリゴのように自らより良い部屋を構築することもできない。

しかし、リーダーはこれらの日常的な「部屋」のルールを決定することができる。

私たちは、部屋の中にいる人々を変えるために多くの時間と労力を費やしている。コーチングを行い、育成し、スキルを身に付けさせようとする。だが、もしかしたら私たちは、部屋そのものを見つめ直すことにもっと時間を割くべきなのかもしれない。

明文化されている、あるいは暗黙のルールにはどのようなものがあるか。誰が発言し、誰が発言しないのか。誰が話を遮られ、誰が話を遮るのか。人々が意見を異にするとき、何が起きるのか。そうでないときはどうなのか。誰の声に重みがあり、誰の声にはないのか。

こうしたルールは、多くの場合、意図的に作られたものではない。ただ引き継がれてきただけであることが多い。「最も大きな声が勝つ」「多数決で決まる」「今発言しなければ、後から口を挟むな」といった具合だ。誰かを排除したり貶めたりする意図はなかったとしても、そのルールが部屋にいる全員に同じ影響を与えるとは限らない。

これこそが、リーダーにとってのチャンスだ。そして実のところ、私たち全員にとってのチャンスでもある。部屋の中で起きることを変えるために、必ずしもそこにいる人々を変える必要はない。研究が示しているように、時にはルールを1つ変えるだけで、参加する人が変わり、その声が届くようになるのだ。

3万人の女性たちが、注意力をそれほど必要としない場所で1日を過ごした後、多くの注意力を要求される可能性のある「部屋」へと戻っていく。自身の職場でその現状を変えるために、世界的なアーティストやフェスティバル、あるいは何百万ドルもの資金は必要ない。必要なのは、自分の組織の「部屋」がどのように構成されているかを見つめ直し、明示的および暗黙的なルールを認識し、誰が発言し誰が発言していないかに注意を払い、何かがうまくいっていないときに「その人自身に問題がある」と決めつける本能に抗うことだ。

時に、問題があるのは「部屋」の側なのかもしれない。

forbes.com 原文

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