そう語る頃末さんは、こんな話もしてくれた。芳夫さんが亡くなってから15年ほど経った頃、グルメ漫画『美味しんぼ』(小学館刊)の原作者で、父と同じ世代で北京生まれの引き揚げ者である雁屋哲さんのエッセイを読んで驚き、感動したことがあったという。そこにはこう書かれていたからだ。
「私の父の餃子の皮の作り方はちょっとずるくて、まず、よく練ってから一、二時間寝かせて腰の出た生地を綿棒で平らに伸ばしていく。うどんを作るときと同じ案配だ。十分薄くなったら、お茶の缶の蓋を押しあてて、丸くくり抜く」(『美味しんぼ塾』(小学館刊)第十五講「餃子」より)。
「おじいちゃんが言ってたのは、ホンマやったんや!と思わず叫んだのを覚えています。祖父は『満洲で日本人が考えたやり方や。長い棒で皮の元を薄くしてカンカンのフタで抜いてたんや』と話していたのです。
それまで、なんでウチの店だけこんな変わった餃子の皮づくりをしてるんやと思っていたのです。満洲式だと言っても、誰もそれを理解してくれなかったので、雁屋哲さんのエッセイは大きな自信になりました」(頃末さん)
それからというもの、頃末さんは満洲や餃子の歴史に関心を持つようになった。すると、面白いことに、その頃からメディアや研究者によって同様のテーマで取材されるようになったという。
「おかげで祖父が始めた店の歴史的な価値を再認識でき、その伝統を残そうと考えるようになったのです」(頃末さん)
もともと行政主導でつくられた神戸南京町は、1980年代以降に来日した新華僑が全体の8割を占め、日本人経営の店はいまや1割ほどだそうだ。
それでも頃末さんは祖父が話していた次のような言葉を思い出すという。
「日本人も中国人も一緒や。いい奴も悪い奴もおる。お前はどっちになるんや」
この祖父の言葉を胸に、これからもこの地で満洲式餃子とジャジャ麺をつくり続けると3代目の頃末灯留さんは話している。


