では、その「満洲式の伝統」とはどういうことなのか。後日、筆者は店主の頃末灯留(ころすえ・とおる)さんから次のような話を聞いた。
元祖ぎょうざ苑のオープンは1951年(昭和26年)。創業者は頃末さんの祖父の芳夫さんだ。1904年(明治37年)に岡山県浅口郡寄島町(現在は浅口市)に生まれた芳夫さんは、昭和初期の1930年代にビジネスチャンスを求めて中国へ渡航した。
最初は山東省に渡り、英語と現地で習得した中国語を使って貿易に従事した。
その後、満洲国の大連に移り、「純情」という名の飲食店を経営した。その店は現地にいる日本の軍人や満鉄(南満州鉄道)の上層部が集うサロンのような場所だった。この店で芳夫さんは中国人コックを雇い、彼から餃子のつくり方を習得した。それが戦後の家業「元祖ぎょうざ苑」の礎になったという。
その後、日中戦争の激化に伴い、芳夫さんは語学力を理由に軍からスカウトされ、反乱分子の探索といった諜報活動に従事したという。そうして民間の飲食ビジネスと国策に協力する日々を送ることになったのだ。
そのため、敗戦後、自分は戦犯リストに載っているのではないかという不安があり、親しくしていた中国人にしばらく匿われ、1年後に帰国している。引き揚げ者が少なかった郷里の岡山を避け、港町神戸の新開地に住み着くことにしたのもそのせいだった。
まず1951年(昭和26年)、新開地に開業したが、当時の神戸ではまだ餃子が受け入れられず苦労し、1954年(昭和29年)に元町へ。さらには1956年(昭和31年)に現在の南京町に店を移転している。
当時の南京町は今日の姿とはまったく様相が違っていた。闇市から続く歓楽街で、水兵と進駐軍が落とす外貨で潤う一方、治安は悪かった。
「行政主導で人工的な中華街として整備され、急速にレストラン街へと変貌したのが1980年代以降の南京町なのです」と1967年(昭和42年)生まれの頃末灯留さんは話す。
「それでも当時、なんとかやっていけたのは、祖父の語学力が、水兵や進駐軍の接客に役立ったからだと思います。そのうち日本の食通も現われ、彼らの口コミも店の支えとなりました」(頃末さん)


