皆さん、この文章を読んでいるパーソナルコンピュータ(PC)のことを少し考えてみてほしい。当たり前のように、仕事も情報のやりとりもできる。
コンピュータ科学者のアラン・ケイは「PCは人間の発想を置き換える装置ではなく、人間を賢く自由に自立させる道具だ」と唱えた。彼が本当に伝えたかったのは、「PCで何かを簡単に便利にすること」ではなかった。それは「PCを使って新しい考え方を生み出すこと」だった。
彼がコンピュータに出会った1960年代には、今のように身近なものではなかった。国家や軍、大企業だけが扱う巨大な計算機で、個人が触れることはできなかった。しかし同じ時代、シリコンバレーではカウンターカルチャー(社会で支配的な体制や価値観に抗う運動)が広がり、「個人の自由」や「新しい価値観」が芽生え始めていた。この流れが、後のデジタル革命を後押しする。
テック界ではあまりにも有名な哲学になってしまった彼の放った言葉が「未来を予測する最良の方法は、それを発明することだ(The best way to predict the future is to invent it.)」。今でも新鮮に感じられる。彼はPCを、私たちの思考を制限から解き放ち、誰もが科学者のように仮説を立て、芸術家のように表現し、哲学者のように深い思索にふけるための「知の増幅装置」であり、人間に力を与えるために生まれたと考えていた。
特に教育の場では子どもたちに“未来を創る力”を渡すべきだ、と強く訴えかけている。この視点は、ダグラス・エンゲルバートのIA(Intelligence Augmentation; 知性拡張)と深く響き合っている。AIが人間を超えるかどうかという議論そのものが、彼には的外れに映る。問題は「道具の何が優れているか」ではなく、「人間がどう成熟して道具を使うか」だと。
アップルのフェローだったアランと米カリフォルニア州クパチーノにあるアップル本社の前で待ち合わせたことがある。僕らは一緒に裏手に回り、そこから入館しようとした時、アランは身分証明書と入館証を忘れたことに気が付いた。
アラン:「俺はアップルフェローのアラン・ケイなんだけど入れてくれないか?」
ガードマン:「え……、申し訳ないのですが中に入れることは許可できません」
まあ、それはそうだ。アランは「Good job(さすがだね)」と微笑む。入り口で電話を借りて、そこにIDパスを持ってきてくれないかと広報にお願いして無事に入れてもらった。携帯電話はまだ存在しない頃の話だ。



