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2026.09.06 17:00

ナウルも「ナオエロ共和国」へ、国名の変更に込められた誇りと歴史

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こうした状況で国名を変更した国はいずれも自国のアイデンティティを主張し、自国の物語を自らの手に取り戻そうとしていた。興味深いことに、植民地時代の言語による名称を放棄する国もあれば、積極的にそれを選択する国もあった。別の2つの例は、実際にはもっと複雑で、今日の世界においても依然として色濃く残る植民地時代の遺産と向き合う上で、あらゆる国が利用できる万能の解決策など存在しないことを示している。

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植民地時代に由来する国名を受け入れるか、それとも拒むか

コンゴ共和国(レオポルドヴィル)は1960年に国連に加盟し、1964年には国名をコンゴ民主共和国に変更した。モブツ・セセ・セコ大統領は1971年に植民地時代の名残や影響を排除する運動の一環として国名をザイールへ変更した(1997年には元の名称に戻された)。英語を話す植民地支配者たちはその地域とそこを流れる大河を現地のコンゴ人にちなんで名づけたが、ポルトガル語を話す植民地支配者たちはキコンゴ語で川を意味する「ンゼレ・オ・ザディ」に由来する「ザイール」という名称を使用した。その起源は依然として植民地時代にあるものの、現地では後者の名称が長く使われ続けていた。

また、1989年には軍政下のビルマが主要民族のより正式な名称に基づいて「ミャンマー」へと改称された。だが現地では今でもビルマという名称を使い続ける人が多い。それはこの名称が英国人によって歪められたものではなくサンスクリット語に由来すると考えられているためだ(あるいは軍事政権に反抗する意思を示すためでもある)。

最後に、比較的新しい国名変更例として2019年に行われたものがある。これは、ギリシャと、現在は北マケドニアとして知られる国との間で、両国にまたがるマケドニア地域をめぐって生じていた対立を解決したものだ。1997年にはサモアが正式名称から「西(ウェスタン)」という言葉を削除した。これは外部からの圧力によるものではなく、米領サモアと区別するために使われていた植民地時代の名残がもはや必要ではないと判断されたためだ。さらにさかのぼること1974年にダホメは国内の1つの民族や南部地域に基づく名称ではなくより普遍的な名称にしようとベナン湾にちなんでベナンへと改称された。

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forbes.com 原文

翻訳=溝口慈子

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