ある30代の男性(Aさん)は、来る日も来る日も一日中椅子に座り、何もせずに過ごしていた。かつては幅広い交友関係を持つ生産性の高い金融プロフェッショナルだったが、突然、あらゆることに無関心になった。仕事もアパートも失ったが、それすら気にする様子はなかった。そこで、担当の神経学者が彼に質問を始めた。
「普段は家で何をされているのですか?」と神経学者はAさんに尋ねた。
「音楽を聴きます」とAさんは答えた。
「では、なぜやめてしまったのですか?」と神経学者は尋ねた。
「ステレオをセットするのが、あまりにも手間がかかるからです」
「それにはどのくらいの時間がかかりますか?」
「5分です」
Aさんを担当した神経学者は、オックスフォード大学の神経学・認知神経科学教授であるマスード・フセイン(Masud Husain)博士だ。フセインはこの話を、ポッドキャスト番組「Huberman Lab(ヒューバーマン・ラボ)で明かしている。「ステレオをセットするのに手間がかかりすぎる」というAさんの説明にフセインは強い関心を抱き、先延ばし(プロクラスティネーション)をより深く理解するためにさらなる研究へと進んだ。そこから見えてきたことは以下の通りだ。
要注意、脳は手を付ける前から各タスクに「値札」を付けている
フセインは、モチベーションを一種の「神経経済学(neuroeconomics)」だと説明する。ある日、やろうと思えばできることが20個あったとしても、そのすべてをこなす余力はない。そこで脳は、身体的、認知的、社会的、感情的なレベルで、それぞれの選択肢がもたらす報酬と、それに要する労力を天秤にかけている。
フセインの研究室が患者や健康なボランティアを対象に行ってきた研究を通して、ある知見が浮かび上がってきた。大きな報酬があれば誰もが懸命に取り組むが、報酬の見込みが低い領域では人によって大きな差が出る。意欲の低い人は、フセインの言葉を借りれば「これは労力に見合わない」と判断するのだ。
フセインはこの障壁を「活性化の丘(activation hill)」と呼ぶ。ある人にとって語学の習得は高い山のように見えるが、別の人にとっては小さな丘にすぎない。その違いは、本人の認識にある。
先延ばし常習者のMRI検査で見えた、予想と逆の結果
フセインのチームは、モチベーションの度合いが異なる学生を対象にMRI検査を実施し、提示された報酬がその労力に見合うかどうかを「イエス」か「ノー」で判断させた。



