商社は仲介が仕事で、飛ばされる(契約を打ち切られる)リスクに敏感。この決断は元商社マンの本能といえるかもしれない。
商社時代に学んだことはほかにも多い。海外志向が強かった米倉は伊藤忠商事に入社し、1990年から8年間、念願のアメリカ赴任を果たす。現地の上司からは、こうくぎを刺された。「俺は電話の履歴をチェックする。現地の日系企業に電話をかけまくってるやつはダメ。外からどれだけかかってくるかでおまえを評価する」
言語の壁はあったが、とにかく多くの社外のアメリカ人たちと話した。その積み重ねで磨かれたのが説明力だ。
「今、新入社員に『テキサスのオヤジにうな重を説明してみろ』とよく話します。『うなぎは蛇みたいににょろっとして──』じゃ食べませんよ。ネット検索してうな重の歴史を説明するのも論外。私なら『バーベキューソースで香ばしく、日本人は夏に食べてスタミナをつける』。難しいことは易しく、易しいことはさらに易しく。それで人は動くんです」
帰国後も説明力は米倉の武器になった。電力プラントの部長時代は、アジア通貨危機の負の遺産を引き継いだこともあって事業部別利益は下から2番目。米倉はアメリカの発電所へ投資を進めたかったが、経営会議では冷ややかな視線を浴びた。
「電力ビジネスを知らない役員もいますから、最初は反対も仕方ない。既存発電所であること、先に買収していたオペレーションメンテナンス会社とシナジーがあることを丁寧に説明して、最終的には丹羽宇一郎さん(当時会長)が『やらせてやろう』と言ってくれた。アメリカの発電所投資は、今ドル箱になっています」
スカパーJSATに転身後も、社内外にわかりやすい説明を心がける。宇宙事業が広がるなかで、何を目指すのか。最後にこう説明してくれた。
「宇宙は地上から見上げる対象ではなく、すでにビジネスの実践の場になっている。衛星や地上局という宇宙インフラやその知見をもつ私たちは、さまざまな事業者が自社の宇宙サービスを具現化したいと考えたときに、その一助を担えます。目指すは“宇宙ソリューションプロバイダー”です」
よねくら・えいいち◎1957年生まれ、東京都出身。慶應義塾大学経済学部卒業後、81年に伊藤忠商事入社。2011年伊藤忠インターナショナル社長(米国)、16年伊藤忠商事代表取締役専務執行役員を経て、18年6月スカパーJSAT副社長。19年4月より現職。


